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地震のあった日に、届いた食器。
珍しく、磁器のセットを買ったのでした。
出してはみたものの、実はまだ使っていません。
◇
ミモザは、中学校の卒業式の壇上に飾られていた花で、
以来ずっと好き、一番好きな花です。
花言葉は「友情」なのだそう、最近はじめて知りました。
わたしがミモザに思い浮かべる言葉は「希望」。
月並みだけど、とてもだいじ、いまはとくにだいじに思える言葉。
◇
今日(もう昨日ですが)、若い友人にメールを送る。
自分の生き方について、いつもよく考えているのでしょう。
整理された言葉で前向きな、清々しい返信をもらう。
故郷が震災に遭い、つらい思いをしているはずなのに、
人を気遣い、元気にしてくれる、彼女の言葉に感心する。
応援するつもりが、いつも励まされる。
ありがとう。
◇
「今日、退院なんで」と若い男性が職場に寄る。
「入院中に、世の中が変わってしまったでしょう?」と話す。
「はい、大きく変わりました」
入院中にお身内に大きな不幸が3度続いたうえ、
被災地のご親戚や、出張中だった同僚など、
震災でたぶん10名くらいのお知り合いが亡くなったと言う。
なんと言ってよいのかわからなくなる。
「まずは、ご自分の身体を大切にしてね」
(なんという無力さ)
「はい、ありがとうございます。がんばります」
目をうるませて、こぶしをぎゅっと握って、帰る。
◇
お客さんがみえて、地震のことを話す。
「被災地のあの辺りは、昔、居たことがあるんですよ。
今でも、知り合いが住んでいると思います。
その後も、何度か行きましたよ。
あの辺の人は、みんないい人なんだなあ。
ただ風景を見ていただけなのに、
近くの田んぼからあがってきた人が、見ず知らずの僕に、
家に寄ってお茶を飲んでけって言ってくれるんですよ。
そういうこと何度もあったなあ」
あたたかく美しいことを思い出すのは、なんて悲しいんだろう。
「僕は、これからは、原発反対って声に出して言いますよ」
◇
わたしたちは賢くなろう。
原発は、もうつくらないでください。
原発は、もうやめましょう。
様々な事情や不都合があったとしても、智慧を出し合い
原発をやめてからの問題は解決していけるはずです。
帰れない故郷や、人が長く住めない土地にしてはいけない。
なによりも子どもたちや、
あたらしく生まれてくる人たちのものでもあるこの地球を、
誰かの都合で、汚染し奪ってはいけない。
大切な人や、これから生まれてくる命を守るために、
過った選択を繰り返さないように、
賢くなりたいと思います。
ベランダから、向こうの梅畑が見えたので、
日も暮れかかっていましたが、行ってみました。
夕闇と混じり、顔に寄せる梅の香りもいっそう濃くなったように感じながら、
低い梅の木のあいだを歩きました。
1本だけあった紅梅。
わずかな光に透かして撮った白梅。
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地震の後、読んだ本のなかに、こんな言葉を見つけました。
私たちは生きるために、自分自身に物語を語り聞かせる。
――ジョーン・ディディオン
治療不能の病と宣告されてもなお、最期まで闘い続けた
スーザン・ソンタグを見つめ、寄りそった息子デイヴィッド・リーフによる
亡くなるまでの9か月間の記録、
『死の海を泳いで―スーザン・ソンタグ最期の日々』
(デイヴィッド・リーフ著・上岡伸雄訳/岩波書店)のなかに。
母親似?切れの良い文章で、日本語訳も清潔で洗練されていると感じました。
スーザン・ソンタグの生き様を感じる部分を。
何にでも希望を見出す母の習慣は、ここでも絶望を上回った。
医師の宣告を受けて動揺し、それでもわずかな可能性を
捨てようとしないソンタグの姿に胸を打たれ、励まされます。
これから本を読む人のために取って置くべき言葉は、いつもならば
控えるのですが、今日は特別に、書きとめたいと思います。
悲しみの谷では、翼をひろげよう
――スーザン・ソンタグ
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何人もの方が心配してくださったので、近況を。
先週は、朝にならなければ電車が動くかどうかわからない状況での
通勤に精一杯で、慣れない計画停電にも緊張が続きました。
初めての停電で、思ったよりも明るい月明かりを眺め、
自宅は停電すると水道の水も出ない建物だったのだと知りました。
地震当日は、帰宅しドアを開けると、棚から落ちた皿や小物が割れ、
ペットの餌や本が散乱し、水槽の水はゆれてあふれ、水浸しでした。
のび太の飼育箱は、金網をのせているだけなので心配でしたが、
それがはずれることもなく、無事でした。
飾っていた硝子や陶器のものがいくつも壊れました。
被災地の方々は、この何万倍もの悲しみと恐怖と不安を
経験しているのだろうと思いながら、砕けた破片を拾いました。
落ちても傷がつかなかった地球儀を、思わず両手で包みました。
翌朝ベランダを見ると、かなり重い薔薇の鉢が一つ、
誰かが置いたかのように、下に落ちていました。
幸いプラ鉢でしたので、割れることはありませんでした。
その鉢で、カワラナデシコの花が咲いていました。
ガラスの大皿が落ちても割れていなかったり、
逆にいくつかの小さな幸運も見つかり、感謝しました。
物は壊れましたが、生活に支障はありません。
大好きな人たちのいる八戸や、
何度か通った美しい海岸線が思い出され、
そのような故郷の風景と同時に、大切な方や、家や、町を
失ってしまった方々の悲しみを思うと、胸が塞ぎます。
あたたかな食事と住まいと、安全で清潔な環境が、
一日も早く、被災し避難された皆さんに戻りますように。
私たちは生きるために、自分自身に物語を語り聞かせる。
共に、生きるための物語を、語りあうことができたらと思います。
あまりにも悲惨な現実に、さらに酷くなる事態に、
何を言ってよいのか、自分に何が言えるのか、
言えずにいること、何もせずにいることさえゆるされるのか、
わからなくなってしまいました。
言葉を失うとは、こういうことなのかもしれません。
言葉は、命が続く(自分のものに限らず)という仮定の上に
なりたっていたのだと、思い知らされたような気がします。
自分の言葉が、希薄で現実味がないように感じ、
仕上げようと思って書いていたものさえ、手をつけられずにいます。
もうわたしは書けないかもしれないと思いながら、何日も経ちました。
こんな簡単なブログでさえ、うまく言葉が出てきません。
瓦礫の中から、拾いあげるように、小声でつぶやくとすれば、
「希望を持ち続けよう」。
誰かに届くわけではないけれど、自分がそれを忘れないためにも、
「希望を持ち続けよう」とつぶやいてみます。
*
***
*
今こうやって書きながら、ふいに、『ポネット』という映画の
幼い女の子が、思い浮かびました。
ママを亡くし、同じ悲しみを抱えたパパを抱きしめながら、
「ふたりで一緒に元気をだそうね」と言った健気なポネット。
それに、ほんとにすてきで大好きだったママ。
一緒に元気をだそうね。
まずは自分から、こうやって普通の暮らしができる者から、
元気を出さなければと思います。
『ドゥルーズ 千の文学』(宇野邦一・堀千晶・芳川泰久=編/せりか書房)
◆
文学を生殖せよ
生・言語・身体の限界へと挑む哲学者ジル・ドゥルーズが描く、
異形の文学者たちの肖像。アルトー、カフカ、プルースト、ロレンス、
ベケットから、ボルヘス、マゾッホ、ヘルダーリン、マンデリシタームを
横断する鮮烈な文学地勢図。
(帯文より)
◆
これから読みたいと思っているのですが、
3名の編者ほか22名の多彩な執筆者による、厚く多様な内容のため、
この本についてなにか一言添えるには時間がかかりそうなので、
新鮮なうちに、まずは表紙だけを紹介させていただきます。
◆
この本は、ドゥルーズが繰り返し参照し読解した文学者たちを扱う論考だけではなく、
ドゥルーズと響きあうモチーフを濃厚にもちながらも、ほんの少ししか言及されなかった
作家たちについては、ドゥルーズが書いたかも知れない作家論を仮構するような
論考もおさめている。全体としては、ドゥルーズ研究になんらか寄与しうる
文学論の集成だけである以上に、数々の文学理論が出尽くした世紀の後で、
「文学とは何か」という問いをあらためて問う論考が、交錯し乱反射する場に
なっているなら、私たちの望みはほぼかなえられたことになる。
(「はじめに」/宇野邦一 より)
◆
宇野邦一、堀千晶、芳川泰久という3人の編者による
「ドゥルーズ 千の文学」という鼎談から始まり、
港千尋、豊島重之、多田雅彦、大宮勘一郎、松本潤一郎、
西脇雅彦、川本恭久、山崎敦、江澤健一郎、千葉文夫、
大山戴吉、森井良、門間広明、澤田直、佐々木泰幸、
合庭惇、宮林寛、貝澤哉、谷口亜沙子、福山智、國分俊宏
という執筆者。
「アルトー 思考の死または生殖性/宇野邦一」、
「カフカ ホロビならぬフルビの戦意/豊島重之」
「クロソフスキー 思考の名前/松本潤一郎」
「バタイユ マイナー文学論/江澤健一郎」
など、あいうえお順に44の論考が並びます。
◆
芸術家=文学者とは、花を見ながら、花が見るように、視覚と感覚
(さらには情動さえも)を対象とともにすることのできる存在である。
そしてそれを、対象としてのいくつかの文(文学テクスト)そのあいだで
思考を介して行うものこそが哲学者であり、そのように思考の主体を
対象とのあいだで破棄すると同時に転倒・共有することが
概念=コンセプトの生成にほかならない。とすれば、文学テクストとは
何をもたらしているのだろうか。その在りようを、ドゥルーズという名の
参照者とともに、その参照者が記した文とともに、できうるかぎり
視界に浮上させてみたい。それがこの本の、あるとして、望みの
ようなものである。
(「あとがき」/芳川泰久 より)
◆
これまで常識的な読書をしてこなかった不勉強なわたしには、
歯が立たないのではないかという戸惑い以上に、
読むことへの期待をたかめてくれる「はじめに」と「あとがき」の言葉。
逆にこの本を、これからの読書の手引にしていけたらと思います。
皆様、ぜひお読みになってみてくださいね。
これは、カブの葉。
育てるつもりはなかったのだけど、
切り落とした葉を活けておいたら、
青々とした葉が出てきたので、ついそのままに。
最近、大活躍の土鍋です。
これは、ポテトグラタン風のもの。
オイルと玉ねぎを敷いた土鍋に、ジャガイモを入れて煮ます。
ほぼ火がとおったら、牛乳を入れ、塩、胡椒を少々、
冷蔵庫にあったので生クリームも入れ、チーズとベーコンをのせ、
ぐつぐついったらオーブンへ。
オーブン用の耐熱皿も持っているのですが、
直火からそのままオーブンに入れられる土鍋は便利♪
それに、思ったよりも洗うのが楽です。
さてこれは、鍋焼きカレー。
やはり、オリーブオイルと玉ねぎを敷いた土鍋に、
ご飯とカレーを入れて、今回はスープをすこし入れて火にかけました。
チーズとパセリのみじん切りをのせてオーブンへ。
食べる時に、さらにタバスコかけています。
鮭の土鍋でちゃんちゃん焼き風。
これは、糠漬けにした生鮭です。
塩をふらずに、キッチンペーパーで包んでから、漬け物用とは別の糠床に。
4~5日以上漬けています。
もちろん、生鮭に塩をふったものでいいのですが。
ほどよい塩のききかげんで、おいしいです。
胡麻油を敷いた土鍋で、薄切りのニンニクと一緒に鮭を両面焼きます。
玉ねぎ、人参、白菜を入れて、その上に焼いた鮭をのせます。
モヤシがあったら入れたかったのですが、無くて残念。
牛乳(と生クリーム)と味噌を入れ、ニラをのせ、蓋をして蒸し焼きに。
白菜は、縦に切って、数日干したもの。
味噌は、作り置きしてあった、白崎裕子さんのレシピの
味噌スープのもとを入れています。
ふつうの味噌よりこくがあっておいしいのですよ。
牛乳と生クリームは賞味期限が切れそうだったので入れたのですが、
入れずにそのまま蒸し焼きでもだいじょうぶ。
バターって、ほとんど食べないので、買い置きがなくて入れていませんが、
なくてもおいしいと思います。
ほとんど同じものですが、これはフライパンで焼いたもの。
牛乳は入れずに、野菜と酒と味噌スープのもとだけ入れて、蒸し焼きに。
白菜を干してあるので、水っぽくなりません。
上にのせたのは、ローズマリー。
しぼったレモンで、さっぱりと。
◆
吉祥寺で映画を観ようと思ったのですが、
残席が3席しかないというのであきらめる。
そのまま帰ろうと思いながら、たまたま通りかかったお店の
「れもんラーメン」という看板を見て入りました。
レモン風味の塩ラーメン。
レモンの香りと酸味がきいて、おいしかった。
思わず「ご飯ありますか」と訊いて、
残ったスープにご飯(発芽玄米)を入れて完食しました。
映画を観ながら、また行こうと思います。
◆
長く続いた咳がやっと止まったみたいです。
先週はいろいろできないことが多かったけれど、
今週から、ちゃんとしよう。
不機嫌で自分勝手で威張っている人と60年暮らすのと、
穏やかで思いやりがあり誠実で信頼できる人と60年暮らすのでは、
どちらがいいだろう。
わたしたちはもっと優しくなろう。
お互いに欠点を持ちながらも、
妻や夫や娘や息子や母や父や兄や姉や妹や弟や
友人や恋人に優しくしよう。
◆
ここしばらく忙しかったので、ゆとりがありませんでした。
雛祭りらしいこともせずに終わってしまうのもさびしいと、
雛祭りパスタ作ってみました。
ああ……小学生の料理みたいだなあ。
あるもので作ったので、顔はサツマイモです。
黒ゴマがなかったので、黒米で目を作り、梅干で口を。
糠漬けのセロリと人参で、小物を。
糠漬けのセロリっておいしいですよね。
あ……ぼんぼりが……。
ご飯がなかったので、トマト味のパスタです。
トマトソースは、白菜で作ったもの。
オリーブオイルを敷いた圧力鍋に、
玉ねぎ、セロリ、セロリの葉、白菜をざくざく切ったものを重ねて、
粗ごしトマト、赤ワイン、鶏ガラスープの素、水1カップ弱を入れて、
ニンニク、ローリエ、胡椒も入れて、10分くらい長めに加圧。
蓋をあけたら煮詰めて、塩で味を調えます。
白菜1個と、大量のセロリの葉がとろとろのトマトソースになります。
薄焼卵で包もうと思ったのですが、
卵にヨーグルトを入れ過ぎてスクランブルエッグ状態に。
持ち上げたらやぶれてしまい、ああ、失敗。
やり直そうにも卵がなかった。
写真も、お雛様の顔を直そうと思ってさわったら崩れてしまい、
こんな写真しか撮れませんでした。(泣)
間に合わせで出来の悪い雛祭りプレートになりましたが、
お皿の上の二人のほうが不満かもしれません。
しかも、並び方が逆だったか……。
ハマグリのお吸い物ではなく、牡蠣のオイル漬け。
今回は牡蠣をから炒りする時に、丸ごとのニンニクとローリエ、
鷹の爪、黒粒胡椒を入れました。
水分がなくなったら、オイスターソースがなかったので、XO醤を。
瓶に入れて、オリーブオイルをかぶるまで満たします。
添えたのは、「仙台雪菜」のおひたし。
◆
そういえば子どもたちが小さな頃、
うずらの卵で顔を作って、酢飯を三角のおにぎりにして
薄焼卵で包んで、雛祭りのご飯を作ったのでした。
息子はうずらの卵の顔を口に入れたまま涙ぐんで、
かわいそうだからと噛むことができない。
妹である娘は、嬉嬉として顔からつまんで食べる。
二人の性格の違いがわかる出来事でした。
息子は、アンパンマンの顔のパンとかも、かじれなかったなあ。
さて、大人になった兄妹の性格は……?
あいかわらず、その時のままです。