9月26日は、福井桂子さんの御命日です。
ひさしぶりに花屋で、
秋冥菊(シュウメイギク/秋明菊とも書きますね)を買ってきました。
吾亦紅(ワレモコウ)といっしょに。
花のそばで詩を読みます。
福井桂子さんの詩集『艀』より「潮だまりで」
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潮だまりで
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草の精の通った道なのか、夏に、たんぽぽが咲いて
いた。わたしは急いでいたから、―たんぽぽの夏、
とひとりごちて、小花には余り目をむけなかった。
夏そして秋、わたしは未だ生きているだろうか。浜
辺の荒れ果てた庭の女園丁としてなり。潮がみちて
きて。とてもしずかに秋が来ればいい。
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潮だまりで、
あの女の子がしんじられないほど淋しい顔をしてい
るのは、わたしのせいだと思う日がある。
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七つ、道を曲がって、そう、七つの空の道を曲が
ってたどりついたのでしょう。誰がおりましたか。
小さな木の馬やら黒い変なあひるやら透かし百合の
植え込みやら。ずっと昔からわたし達の知っている
廃屋の前を通ったのでしょう。
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花穂は暗欝においしげり、八月。田園踏切の黄色い
柵に寄りかかりつつおもったこと。ひと茎の苦が菜
には耐えられるけれど、二つめには耐えられない。
そして、やがて、三つめには耐えられるようになる
でしょう。星に、ほら、かえで色の網を打っている
ぼろぼろの衣の童子がいます。
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八戸では、子どものことを「わらし」と言うのでした。
会話の中にふつうに「わらし」という言葉が出てくると、
詩の欠片を拾うような気がしました。
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朝あわてて撮った写真ですが。