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父が採ったワラビを、母が送ってくれました。
ワラビのおひたし、おかかと山葵醤油を入れたマヨネーズを添えて。
こういう簡単な食べ方が、実は一番おいしいです。
青森で買った「津軽 金山焼(つがる かなやまやき)」の器に入れて。
ワラビとタケノコの炒め煮。
一緒に届いた筍と、挽肉、人参、玉ねぎを胡麻油で炒めて、
出汁少々、酒、味醂と醤油で味付け。
最後にワラビを入れて、炒め合わせます。
そのまま冷まして、食べる時に、汁気を飛ばしながら
もう一度炒めます。
筍とワラビの味噌汁をご飯にかけて。
刻んだミズとおかか醤油を混ぜたものをのせています。
子どもの頃から、ねこまんまが大好き。
疲れた時には、ほっとします。
ミズのたたきを作ろうと思ったのですが、
叩いてつぶしてから、刻んで、さらにすり鉢でするのがよいらしい。
包丁で細かく刻んだだけでは、粘りが出ませんでした。
まあこれはこれで、さらさらと食べるということで、よしとしよう……。
久しぶりに出してきたお弁当箱。
ワラビと筍の炒め物を混ぜたご飯に、ご飯の友を詰めて。
買って正解、大活躍の精米機で、この日のご飯は3分づきです。
玄米と分づき米では、まったく栄養価がちがうと思いますが、
その日の気分で精米したご飯が食べられるのは、気が楽です。
今まで、玄米と白米を両方買っていたのですが、
玄米だけでよいというのも助かります。
さて、お弁当に詰めたのは、左手前がウドの皮のきんぴら、
左奥が小松菜の糠漬け、真中奥が大根の葉の漬け物を炒めたもの、
新生姜の甘酢漬け、いただき物のかりかり梅の梅干ものせて。
ちょっと塩分多いように見えますが、漬け物はサラダのかわり。
糠漬けをお弁当に入れるの、最初は迷ったのですが、
ぜんぜんだいじょうぶです。
匂いになれているからかもしれませんが。
地味な色合いの渋いお弁当ですが、こういう気合いの抜けたものだと
毎日作るのも気が楽です。
それで今日は、自家製酒種で、蒸しパンを作りました。
あまりふくらんでいませんが(笑)。
レシピは、飯島奈美さんの「なつかし蒸しパン」を参考にしています。
粉は南部地粉、砂糖は甜菜糖、牛乳無かったので入れず、
ベーキングパウダーも入れていません。
さつまいもも無かったので、ココアパウダーを大さじ1くらい入れています。
というわけで、アレンジとも言えないくらいなんとなくこんな感じ?的な
作り方で、飯島さんの蒸しパンからはもちろん程遠いものができました。
でも、もちもちとした食感で、これなんだっけ……?
ああ、「ういろう」に限りなく近い蒸しパンの完成です。
でも、昔食べた「黒糖蒸しパン」の風味に近いかも。
次は、ちゃんと時間をかけて醗酵させるか(今日は待てなかった)、
ベーキングパウダーを入れて、再挑戦してみよう。
時間を遡るような感じになりますが、
青森へ向かう新幹線はやての車窓から撮った写真を。
まずは、東京駅で買った「銀幕弁当」。1800円。
あけてみますよ。
老舗の味を詰め込んでいます。
一切れで老舗の味とうならせます。
こういうささやかな贅沢もたまには、とてもだいじ。
特別の日には、特別の気分をゆるします。
◆
隣の席に誰も座らなかったのを幸いに、
車窓にはりつくようにして、景色を眺めます。
前回は深夜バスだったので、今日はちゃんと見ておこうと、
ずっと窓の外を見ながら青森に向かいました。
窓ガラス越しに、動いている新幹線から撮ったので、
鮮明な写真ではありませんが、何枚もつづきます。
この悲しみはなんだろう。
途中、ブルーシートをかけ瓦屋根を修復中の家を何件も見ましたが、
ほかには一見なにも変わらない風景が続いていました。
被害の大きかった海岸線を通らなかったということもありますが、
何も変わらないように見えて、実は大きく変わってしまったという、
見ているものと見えない現実の落差に、よけい胸がふさいだのでした。
写真を選ぶのに時間がかかって、なかなかアップできませんでした。
見なれたわたしたちのよく知る風景が、どれもいとおしくて。
わたしたちはなんておろかなことをしてしまったんだろう。
◆
先日、渋谷アップリンクで映画『100,000年後の安全』を観ました。
予告編にも使われている言葉なので書きますが、
「放射能は、人体の奥深くまで浸透するエネルギーで有害です。
透明で無臭なので、放射能を人間の五感では感知できません」
放射性廃棄物が無害化するまで100,000年以上かかるのだとすると、
それは「いかに生きるべきか」などという悩みも忘れてしまうくらい
人間の一生をはるかに超えた永い時間です。
その時間の前では、自分の人生の時間は無に近く力も及ばず
うなだれてしまいますが、映画の中では100,000年後のことを考えながら、
放射性廃棄物を地中のプールに沈めるという方法がとられます。
100,000年もの間、未来の人々まで危険にさらすかもしれないゴミを、
しかも減ることはなく増え続けるゴミを抱えてしまったからには、
今できる限りの方法で責任をとらなければなりません。
わたしは自分の人生にはなにも期待しないと思ってきました。
けれども、わたしだけのものではないこの世界が、
未来の子どもたちにとって希望の持てる世界であることを
あきらめないようにしようと思います。
人間の一生は短いけれど、誰もが懸命に生きています。
その一人一人にとって、安全で暮らせる世界を求めることを
やめてしまってはいけないと今強く思っています。
友人に、赤ちゃんが生まれました。
こんな時代に生まれてきてくれて、ほんとにありがとう
と言いたいです。
青森県立美術館の近くに(歩いて8~10分くらい?)
三内丸山遺跡があります。
遺跡内のシンボルとも言える、大型掘立柱。
これは、5月に撮った夕景。
これは、6月に撮ったもの。
根元にちいさな男の子が立っています。
間近で見上げても、遠くから見ても、
その大きさと力強さに圧倒されます。
(設置された説明用の看板より)
この復元建物は、縄文時代の中期後半(約4500年~4000年前)の
ものです。専門家の見解は、大きく建物説と非建物説に分かれています。
目的や用途も祭殿や宗教的な施設、物見櫓、灯台、魚の見張り台、
天文や季節の基準を知るための施設などとする見解がありますが、
現段階ではよく分かっておらず、三内丸山遺跡の大きな謎のひとつと
なっています。
復元された大型竪穴住居。
中に入りますよ。
中はひろびろとしています。
パンフレットによると、
集会所、共同作業所、冬期間の共同家屋などの説が
あるようです。
復元された竪穴住居がいくつもあります。
これは、樹皮葺住居でしょうか。
土葺住居。
なんとなく宮崎駿の世界を連想します。
竪穴住居跡は、これまでに550棟以上見つかっているそうです。
+
発掘された土器などを多数展示している「縄文時遊館」の
さんまるミュージアムへ。
館内での写真撮影は自由とのことでしたので、中で撮った数枚を。
これは、「ヒスイ製大珠」
十字型の土偶がたくさんみつかっています。
縄文時代中期の「ミニチュア土器」
おままごとに?と思ってしまったのですが、祭祀に使われていたのではと
考えられているようです。
+
展示数が多いばかりではなく、建物内の展示のセンスもよく楽しめます。
盛土の土層展示など、発掘してから展示するまでの技術にも感心しました。
館内の「れすとらん五千年の星」では食事もできます。
古代米に砕いた栗が入ったご飯のついた貝焼き定食。
+
日曜日に渋谷アップリンクで、映画『100,000年後の安全』を観ました。
先にそれについて書きたかったのですが、それはまた。
公式サイトは、こちら。
最新情報は、こちら。
先週(6月12日)は、青森へ。
『伊藤二子と八戸展』の最終日でした。
先月、5月の初旬に訪ねた時は、深夜バスで行きましたが、
今回は新幹線で。
車窓の景色を眺めながら、つらくやりきれない思いでした。
「がんばろう」も「がんばれ」もなんだか気持ちがすり減るようで、
この一か月間で、澱のようにたまった疲れを感じます。
そんな整理されないわたしの雑念は、
伊藤さんへのいくつもの愚かな質問となったと思います。
伊藤さんは、お元気でした。
公開制作された大作も、見事に完成し、展示されていました。
会場は、伊藤さんの揺るぎなく、人生を通して貫かれたものによって張りつめ、
ゆるんでいたこちらの気持ちも引き締まりました。
どのような事態であっても動じず変わることのないもの、
それが作品に漲る普遍性なのかもしれません。
タイトルをつけない伊藤さんの作品と向きあうことは、
自分自身と向きあうことであると、今回よくわかりました。
伊藤さんの絵を見ながら、映し出された自分自身の姿に
耐えなければなりません。
まさに真剣勝負。
けれども、絵を見ながら削ぎ落すべきものも見えてきます。
それを心しながら、生きていくだろうと思います。
伊藤二子さん、ありがとうございました。
最後にお願いして、写真を撮らせていただきました。
伊藤二子さんと、青森県立美術館の高橋しげみさん。
最強のお二人。
お二人からは、似たものを感じます。
高橋しげみさんの伊藤二子さんへの深い理解と、
丁寧な聴き取りによる資料の作成、
伊藤さんそのものを感じる斬新な展示のセンスには、
まさしく目を洗われるようでした。
お二人と『伊藤二子と八戸展』に感謝します。
娘が、前回載せた伊藤二子さんがとても好きだと言うので今回も。
人にカメラを向けるのは難しい時代で、滅多に人物を撮ることがありません。
いろいろご負担をかけたかもしれませんが、ほんとうに感謝しています。
新宿のお店に、忘れ物をしてしまい、それを取りに行ったついでに映画を観る。
『マイ・バック・ページ』。
1969年から1971年という、それを聞いただけで、イメージが立ち上がってくる時代の話。
その時代を生きた人にとっては、一年違うだけで、状況は大きく変わったのだろうと思う。
当時まだ子どもだったわたしには、様々な出来事を大きく括って
あの世代という理解しか無かった。
だから、当時に対する熱い思いも、強い興味も無いまま映画を観始めたが、
事実をもとにしたストーリーでありながら、その時代に埋没せずに、
人物が描かれていることに好感が持てた。
当時のカリスマと、妙に人の気をひきながらも本物のカリスマになれない
胡散臭い人物(松山ケンイチ)との違いが、それぞれうまく演じられ、また撮られていて、
冷静な傍観者でありながらも、多くの人が動かされた時代の心理に納得がいった。
それにしても、映画を観る場面が映し出されると泣けるのは、何故だろう。
『ニューシネマパラダイス』も『奇跡の海』も、
ちらちらと光の動くスクリーンに照らされた顔を観ると、こみ上げてくる。
この映画でも、主人公(妻夫木聡)が映画を観る場面が好きだったし、
映画を観るという共通の感情が、人物との距離を縮めてくれた。
シンパシーとは、そういうことなのかもしれない。
人一倍映画を観てきたわけでも、映画に憑かれているわけでもないけれど、
映画雑誌も読みながら、真剣に映画を観ていた短い時期が、人生に数度あった。
経済的なことや時間がとれないことで、
映画館から間遠くなっている期間のほうが長いのだけど、
たぶん一人で映画館の椅子に座るのが好きで、映画を観ずにはいられないというような、
それぞれの事情を超えた人生のやるせなさのようなものに共感するのかもしれない。
と同時に、なかなか映画を観ることができない状況にも、思いがゆくのだろう。
映画館で映画を観ることは、わたしにとっては今でも、ささやかな贅沢。
本当は、もっと映画を観る時間がとれるはずなのに、
大事なことを後回しにしているような気がする。
自分の時間と人生を大事にしよう。
もっと映画を観に行こう。
母が、筍とワラビを送ってくれたので、まずは味噌汁で。
あく抜きしたものを水に漬けた状態で送ってくれたのですが、
職場に送ってもらったら、なんと10キロの重さ……(笑)。
持ち帰れず、自宅に送り直しました。
旬の味。母に感謝。
久しぶりの白米で。
わたしは玄米も食べるのですが、白米がきれて
悩んだ挙句、精米機を買いました。
これは、買ってよかった。
精米したてのご飯は、みずみずしいです。
糠は、糠漬けの足し糠用に。
黒米のスープがけご飯。
出汁にしろたまりと野菜やお揚げを入れたスープをかけて。
実は、前日の稲庭うどん用に作ったスープ。
ヤマニンジンの葉をのせて。
黒米の味噌おじやに、オカノリを刻んで鰹節を混ぜたものをのせて。
味噌味と、粘りのあるオカノリ、よくあいます。
山椒の葉をいただいたので、醤油漬けに。
焼いた鮭とエノキダケをのせて、出汁と酒としろたまり、
醤油漬けの山椒の葉を入れて炊き込みご飯に。
土鍋、同じものを二つ持っているのですが、
地震で落ちたものがぶつかり、蓋が割れてしまい、
鍋のほうだけ二つ残りました。
なんとなく土鍋気分が欠けるのですが、
サイズのあうガラス蓋をのせて使っています。
鮭は炊きあがってから骨をとって、身をほぐして。
◇
お庭の花をいただきました。
左上がフタリシズカ、右下は白いシラン。
ほかの2枚は、白いミヤコワスレ。
フタリシズカ、咲き始めはもっと寄り添っていたような気がするのですが。
しだいにふたりの間がひらいて?
実物は、もっとひっそりとして、名前通りの印象の花です。