時間を遡るような感じになりますが、
青森へ向かう新幹線はやての車窓から撮った写真を。
まずは、東京駅で買った「銀幕弁当」。1800円。
あけてみますよ。
老舗の味を詰め込んでいます。
一切れで老舗の味とうならせます。
こういうささやかな贅沢もたまには、とてもだいじ。
特別の日には、特別の気分をゆるします。
◆
隣の席に誰も座らなかったのを幸いに、
車窓にはりつくようにして、景色を眺めます。
前回は深夜バスだったので、今日はちゃんと見ておこうと、
ずっと窓の外を見ながら青森に向かいました。
窓ガラス越しに、動いている新幹線から撮ったので、
鮮明な写真ではありませんが、何枚もつづきます。
この悲しみはなんだろう。
途中、ブルーシートをかけ瓦屋根を修復中の家を何件も見ましたが、
ほかには一見なにも変わらない風景が続いていました。
被害の大きかった海岸線を通らなかったということもありますが、
何も変わらないように見えて、実は大きく変わってしまったという、
見ているものと見えない現実の落差に、よけい胸がふさいだのでした。
写真を選ぶのに時間がかかって、なかなかアップできませんでした。
見なれたわたしたちのよく知る風景が、どれもいとおしくて。
わたしたちはなんておろかなことをしてしまったんだろう。
◆
先日、渋谷アップリンクで映画『100,000年後の安全』を観ました。
予告編にも使われている言葉なので書きますが、
「放射能は、人体の奥深くまで浸透するエネルギーで有害です。
透明で無臭なので、放射能を人間の五感では感知できません」
放射性廃棄物が無害化するまで100,000年以上かかるのだとすると、
それは「いかに生きるべきか」などという悩みも忘れてしまうくらい
人間の一生をはるかに超えた永い時間です。
その時間の前では、自分の人生の時間は無に近く力も及ばず
うなだれてしまいますが、映画の中では100,000年後のことを考えながら、
放射性廃棄物を地中のプールに沈めるという方法がとられます。
100,000年もの間、未来の人々まで危険にさらすかもしれないゴミを、
しかも減ることはなく増え続けるゴミを抱えてしまったからには、
今できる限りの方法で責任をとらなければなりません。
わたしは自分の人生にはなにも期待しないと思ってきました。
けれども、わたしだけのものではないこの世界が、
未来の子どもたちにとって希望の持てる世界であることを
あきらめないようにしようと思います。
人間の一生は短いけれど、誰もが懸命に生きています。
その一人一人にとって、安全で暮らせる世界を求めることを
やめてしまってはいけないと今強く思っています。
友人に、赤ちゃんが生まれました。
こんな時代に生まれてきてくれて、ほんとにありがとう
と言いたいです。