これは、福島のダリア。
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最近思うことを。
震災後、テレビの無いわたしはネットで情報を探しつつ、
多くの人びとの声や姿が、真実が、実は報らされていなかった
ことを知りました。
この一年半の間、世の中のことに疎かった分、ほんとうのことを
知りたいと、インターネットに情報を求めてきました。
これからもそうすると思うのですが、それらの情報に頼っていた
感覚を、すこし戻そうと思います。
常に新しい情報を求めつづけていると、常に新しい情報が
刷り込まれることになります。
瞬くように変わる世界を見ているために、記憶の風化が早まって
いるような気がします。
本来の自分の思考の速度を超えているため、記憶に残す前に、
深く考える前に、多くのことが消えてゆくような気もします。
すこし疲れてしまったということなのかもしれません。
大きく変わってしまった環境で解決できない問題に取り組んでいる
人びとの疲労は、はるかに大きなものでしょう。
これからは逆に、どのような状況にあっても、変わらずに
持ちつづけたいものへと、考える基点を戻したいと思います。
変わらない人の思いや、かけがえのない暮らしや、
大切にしたいこと、守りたいことを見失わないように。
震災後の酷さ、混乱、悲しみ、変わらない事実、まずは動かない
あの時点を、自分の基点にしたいと思います。
常にそこに立ち返り、あの頃の自分が守りたいと思ったものや、
失いたくないと思ったものを、ゆるぎなく胸に持ちつづけたい。
同時に、そこから立ち上がった人びとの姿を刻み込んでゆきたいと思います。
放射能の問題から目をそらすことはできませんが、これからそれを
どう考えてゆくかは、一人一人の生き方の問題になると思います。
生き方として、人びとが負った悲しみを忘れずに、
いつでもそこから考えてゆきたいと思います。
そして、ささやかであたたかなものを支えにしてゆきたい。
たとえ、大きく荒々しいものの中にあっても、ささやかで
あたたかなものが、消えずにあることを祈ります。