音もなく降りてくる夜の物語。時の鏡の、みがかれた
黒い扉の上には黄昏の水銀のしずかな滴がしたたり、逆
光をくぐって老いたひとは白髪を闇に沈める。波浪の夜
へ、旅立つ人よ。その扉は最初の、そしてそこはわたし
たちが別れの時を過ごす最後の場所で、暮れてゆく鏡を
割ってわたしたちはもうたがいに触れ合うことも、眼の
水に哀しみを湛えることもなく、ただ悼みあうこころだ
けが初めてというほど、たがいのこころとこころの距離
をちぢめ、あたたかい灯の色が横顔にしみいるふしぎな
親和の時がきて、そしてようやく、そう、ようやく!
わたしたちにとって、ほんとうの父母はほかならぬこの
“夜"であり、ひとは記憶という肉体の昼ではなく、忘
却というはるかな夜の一房に属していることに、知覚で
はなく、闇に実る素裸の存在の痛覚に属するものだとい
うことに気付くのだ。
(新井豊美詩集『夜のくだもの』より「夜の船」部分/思潮社刊)
ここ数年、父をはじめ親しいひとたちの死にであったり、
私自身の自然からの必然もあって死者の場所に関心が集中
していったが、その場所には何もないから結局はそこから
もう一度この世に戻ってくることを考えなければならなかった。
その時にふと歌う言葉のリズムがもう一度訪れてくる気がして、
それはどこからか届けられた歌のような、私の言葉であって私
の言葉でないような不思議な気がしたものだ。
(新井豊美詩集『夜のくだもの』より「あとがき」部分)
今年は、『夜のくだもの』を読みながら、目の前が明るく
なるような気がした。何度か読み返しているのに、まるで
新しい詩を読むように、言葉がひらいていく。どうして
これまで分からなかったのだろうと思いながら、ここ幾年
かの体験に助けられ、少し成長できたのだろうと考える。
ご命日には、その方の詩を読み返すことにしているが、毎年
新しい驚きがある。本棚から取り出し、ひらく。
あらためて装幀も眺めたりして、紙の本は、やはり良いもの
だなとも思う。
庭の水仙を、新井豊美さんへ。