4月14日は、古賀忠昭さんのご命日です。
わたしは 泣き虫だった ほんとうに 泣いてばかりいた
おっ母ん
おっ母ん
と いつも母の後ろを追っていた 〈あの時の 母の背中の大きかったこと!
おしりの大きかったこと!〉
思い出すだけで こころがしずまってくる
思い出すだけで こころがしずまってくる
有明の海は いつも 鉛色に にごっていた その こころの奥をかくすように
干潟にかくれた くるおしい海の人々の その思いをかくすように
雲は そうして 家族のように ひとかたまりになって 流れて 行く
(「子午線 原理・形態・批評」4号所収 「古賀忠昭病床日記」より)
泥の言葉は不思議と清涼で、こちらの背筋がピンとのびるのをおぼえる。
お経を聞くような安らぎさえ感じる。多分、そこに生きたものを、その歴史を
慈しみ、供養しているからである。ただ抗がい吐き出すだけではなく、
生きものを養っている潟の土に還っていくのである。
海といえば日本海。山陰鳥取で生まれ育った私は、彼の海に出会うまで、
波高く水青く透明なふるさとの他に別の海があることなど思いもよらぬこと
だった。潟を、これが本当の海だという彼に従って、再び波打際を歩いた。
もう一つの海を肌で感じた。
(「スーハ!」第4号 ・ 古賀忠昭『長編詩 血ん穴』再録
山本源太 「ターちゃんの海」 より)
日本海の夕焼けを、古賀忠昭さんへ。