1週間、高熱を出していた。
熱よりも、頭部の神経痛が短い間隔で繰り返し止むことがなかったので、
痛みに身構えそれをやり過ごすのに疲れ果てた。
熱が下がってようやく痛みから解放されたが、消耗しきっている。
高熱が出る前も微熱が続いていて、体力も気力も回復が間に合わないと感じていた。
熱があっても仕事には行っていたので、さらに疲労が増して弱気になっている。
けれども元気をなくしている時には、思いがけず優しい言葉に触れなぐさめられることが多い。
こちらが弱っているからいつもより感じやすいのではなく、
そういう時を見計らってなにかが届けられるという不思議さも感じている。
小型の本を選んで持ち歩いていた。
読む気力も無くてなかなか開けず、机の上に立てておいた。
あと少しで読み終えるそれを、ふと手にして読み始める。
岩波少年文庫の『よろこびの日ワルシャワの少年時代』(I.B.シンガー作、工藤幸雄訳)。
一番おしまいに「ショーシャ」という物語が載っている。
ちいさくてかわいくてせつない物語を読んだら、ふいに涙がこぼれて、
ぽろぽろぽろぽろ泣いた。
今の自分も過去の自分もこれからの自分も失ったものも手に入らないものもみんな、
この物語の人たちと一緒にあるという感じ。
手のひらの上の短いお話のなかに全てがある。
物語は、あたたかいくず湯のように、じんわり内側から効いてくる。
このちいさな物語は、同じタイトルで長い物語も書かれ、
『ショーシャ』(アイザック・B・シンガー作、大崎ふみ子訳 吉夏社)という本になっている。
先にそれを読んでいて、その本の一場面を何度も何度もいとおしい気持ちで思い返す。
そのくらい大好きな物語。
「本にはほかになにが書いてあるの?」とショーシャと一緒に尋ね、その答えに耳を傾ける。
体力が無いのでこのくらいにして、過去によこしおんブログで使った写真を載せたい。
『よろこびの日』『ショーシャ』ともに、訳者あとがきにも胸を打たれる。
翻訳とは誠実な人柄が出る仕事だとも思えてくる。
一緒に撮った同じ作者/訳者による『タイベレと彼女の悪魔』(吉夏社)という短編集の写真も。
新鮮で面白い物語がぎゅっと詰まっている。
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具合が悪い時の通勤はつらかった。
朝、重い身体で電車を降りると、向こうのホームに娘が見える。
私が下りのホームに着く頃、彼女は上りの電車に乗るのだ。
こちらの電車の気配に気づいてか、彼女が振り向く。
遠くの娘に手を振ると、彼女もにこやかに振り返す。
久しぶりに見かけた娘の姿に、つい涙ぐんでしまう。
するとすかさず娘からのメールが携帯に届く。
ひらくとちゃっかり頼み事メールだった。
やれやれ、こんなものである。