『スーハ!』4号の古賀忠昭さんの特集で書いたエッセイの中では、敬称をつけずに書いている。
胸のなかでは「古賀さん」と呼びかけながら。
古賀さんに対する敬愛の気持ちと作品と向かい合った時の張りつめた気持ちが、
表と裏のように圧し合っていた。
「古賀さん」と呼びたい気持ちを抑える力が、書いている間中わたしを押さえつけて、
作品の水底へと沈めているようだった。
福井桂子さんの時にも同じように感じたけれど、そこから浮かび上がった時に、
詩人と作品への思いがさらに強くなっていたように思う。
以前、よこしおんクラブのブログに載せた写真だが、思い入れがあるのでもう一度ここに載せたい。
古賀さんのことを考える時、古賀さんがご家族を思う気持ちになったり、
娘さんの気持ちになったり、奥さんの気持ちになったりする。
その交差する思いに貫かれて、わたしの胸のなかにちいさな痛みが走るが、
その痛む部分に古賀さんはいて、今でも穏やかな表情をしている。