ちょっと用事があって国立へ行くことになったので、
お客さんからいただいて職場に何年も置いたままだった
「くにたちを愛した山口瞳」という特別展の図録を眺める。
右の写真は裏表紙の絵を斜めから撮ったもの。
山口瞳さんの描いた絵です。
この図録はほんとうに丁寧に作ってあって、
図録に収められた写真や資料を見るだけで、
山口瞳さんがどんなに人々から愛されていたかがわかる。
国立は好きな町。
駅を出て、今日はしみじみ三角屋根の駅舎よかったなあと振り返る。
いろいろ事情があるでしょうから勝手なことは言えないですが。
失くした風景は、とくに美しく思い出されます。
△
□ □ □
開業が市内で一番古いというロージナ茶房へ。
学生の町なので、自転車がいっぱいです。
賑やかだけれども落ち着いてくつろげる店内。
メキシカンタコスライスとシメイビールの赤を注文し、完食。
キュウリのピクルスがおいしい。
ちょっと自信がなかったのですが、一人で普通盛りを平らげました。
知っている人は、大食漢と思うかも。
さらに食後にマロンアントルメを。
キッチンで生クリームを泡立てる音がして、
こんな遅くに申し訳ないなあと思ったのですが、
洋酒入りの生クリームなのでした。
栗もおいしい。
なんとなく自分を景気(笑)づけたかったので。
成功!
帰ってからあのエッセイが読みたくなって、本棚から探し出す。
新潮文庫の『山口瞳「男性自身」傑作選(熟年編)』のなかに、
「夕涼み」というエッセイが収められています。
今日の季節はずれのタイトルはそのことです。
その文章によると、
少年の頃、「わけがあってある所に収容されていた父が帰ってきた。」
父は裏庭に物干し場を造り、大量のバターを作った。
その時限りだったが、なぜそんな、およそ父とは不似合いな行為ををしたのかと
この頃になって推測する。
「父は私ににキャッチ・ボールを教えてくれた。まだ若かった父と
キャッチ・ボールをすることが、どんなに素敵であったか、これも他人に
説明するのは困難である。球を投げるとき球を受けとるとき、
私の胸は張り裂けそうになり、涙が出そうになった。」
わたしは運動が苦手で、しかも少年ではなかったわけですが、
これを読む度に少年だった人たちをすこしうらやましくなり、
この場面を、日常のなかでなぜかふいに思い出します。
ほかに山口瞳さんの本は持っていないので、図録と一緒にいただいたのだと
思いますが、わたしはこの本をとても大事に思っています。