わたしの内耳にはシタシタと水辺を往く遠い足音が響いている。
水深を通した海光のさんざめきに阻まれてその姿は杳として
みえないのに、その足のウラだけは、なぜか鮮明に目にみえるから
不思議である。ユメを浸した喫水面の真裏からユメの触手を伸ばせば、
いまにもその足ウラに届きそうなくらいなのだ。
(『不審船 二歩と二風のサーガ』/豊島重之著 「アートポリティクス」所収 より)
冒頭の文章の著者である豊島重之さんは
2009年に青森県立美術館で開催された
『小島一郎―北を撮る―展』の一部を企画しました。
『不審船 二歩と二風のサーガ』にはその資料が散りばめられ、
それを基点に北の歴史、地理、文化についての考察が繰り広げられます。
その100枚にもわたる長い論考の中に、小島一郎の貴重な資料はもちろんのこと、
アイヌ語やその地名が出てくるのも興味深く読めます。
◇
アイヌたちが畏れと歓びをこめて呼び交わしていた、 先行する地名のオンの閃光的な皮下層と、 土地を閉めだし地名まで奪った後発の植民者によって、 当て字された漢字表記の倒錯的な表皮層。 響きあう「息」としての書記不能の地名と、 版図という法に登記されて「息を欠いた」表音不能の地名。 ◇ これを読むと、現代のわたしたちが馴染んだ地名を失うことによって、 同時に何を失ったかということにも気づかされるのではないでしょうか。 盛り沢山でとてもおもしろい論考なのです。 ただ増殖し繁茂する豊島さんのニューロン、シナプスに絡まって、 それに対する知識と切れを持っていないわたしは、 しばしば櫂を突き立てたまま、たよりない小舟の上で
淀んだ流れに映る凡庸な自分の顔を眺めることになりました。
つぎつぎと繰り出される資料と考察に驚きながらも、
小島一郎展を見に行けなかったことが残念でなりません。
今なぜそれを思い出しているかというと、読み終えた時に、
自分の中に流れる水を感じたからでした。
人はそれぞれの水源からの距離をはかり暮らしているのではないかということ、
見えない波動を感じながら生き、それが時に交差しふれあい、
奥底にあるものを目覚めさせるのではないかということです。
今回縁があって八戸市美術館で開催されるICANOF展に行きますが、
それがなくても八戸には引きつけられます。
東北生まれのわたしは、北の方に自らの水の源を感じるのかもしれません。
生地から離れるほどに、遡ってでも向かわせる力がはたらくように思います。
本来の水質に帰りたがっているのか、水脈によりつながっているのか、
わたしがさざ波立ち満ちたり引いたりする時、月も故郷の上にあるように思うのです。
これも水脈なのか、今回朗読する黒田喜夫が住んでいた場所の近くにいるというのも、
八戸らしい写真を探して、結局2007年に八戸で撮った写真を引っ張り出してきました。
道に迷いながら日が暮れて、川沿いに下ろうと歩いた新井田川です。
初めて八戸に行ったのは、2007年の5月。
7月の福井桂子さんのインタビューにそなえてカメラを買い、
その買ったばかりのカメラを持って出かけたのでした。
これは買って3日後くらいの写真ですね。
その年の夏にできたばかりのSOOHAを持って再訪し、
そして2009年の伊藤二子展へ。
今年のICANOFのKwiGua展が、4度目の八戸になります。
よし行かなきゃと思えてきました。
微力ながらもがんばります。