4月14日は、古賀忠昭さんの御命日です。
地震の後、まるですべてが反転してしまったかのようです。
わたしたちの生きている世界が、
亡くなった人たちのいる世界に支えられているとも感じます。
皆がその境目に寄り添い、
亡くなった人たちの声に耳を傾けながら、
向こう側の世界に
手をあてているような気持ちです。
今できることと言っても、
なにもできない時もあるのだと力無くうなだれますが、
ひとつひとつの言葉の意味や重さを、
ひとつずつ、
確かめ直しているようにも思います。
「安らかに」という言葉も、そのひとつです。
以前にもまして、なめらかには出てきませんが、
ここから、自分なりに注意深く、
言葉を立て直していけたらと考えています。
昨年、八戸市民によるアート団体ICANOFのイベントに参加させてもらいました。
その昨年のテーマが現代の「飢餓」についてであり、
予習と復習を含めて、東北地方の飢饉について調べてきました。
東北地方は度重なる飢饉に見舞われ、水害もその原因のひとつでした。
人々を襲った苦難は、想像を絶する過酷さで、
それはまさに古賀忠昭さんの『血のたらちね』の世界でした。
東北の人々は、また東北に限らず日本の人々は、
何度も自然災害や悲運から立ち直ってきました。
だからといって今回もだいじょうぶとは、今のわたしにはとても言えません。
誰もが不幸からは免れたいはずで、
それから逃れられた立場で何かを言うのは、とても難しい。
日が経つにつれて、その厳しさに締め付けられてゆくようです。
今日は、苦難から目をそらさずに詩を書いた、
古賀忠昭という詩人がいたことを、静かに思いながら過ごします。
(SOOHA同人による「YOKOSION BLOG」と、前半内容が重なります)