それにしても よくたずねてくれましたね
二十五年前にわかれた人
まじまじとわたしを見ると その人は
三つ四つのころと何も変わっていない
と言い わたしをおどろかす
丘の上の あの
小さな家の 時知らずの花は
いまも咲いているか
これは 間違っている時計なのだ と
教えてくれたのは
あなただったか
松林に住む
昔 あなたのお母さんが わたしに乳くれた女(ひと)が
洗濯していたあの水飲み場では
いまは
子をあやしながら
あなたのきっとおとなしいマリアが
洗濯しているのだろう
そして 古代ローマの婦人のようにたけ高く
頑丈だった 乳くれたあの農婦(ひと)は
いまは直角に腰が曲がり
…待ちくたびれ 今日も
停車場の入口にしゃがみこんでいるという―
差しだす茶をすすり
えんどう豆を食べ
六つのころ あなたは
なんと静かな子だったろう
つゆのしづく道を行くように
昔のように
すこし うつむきながら帰って行く
――――――――
ねむれ 父も母も
飢えも つらい仕事も
めざめているのは モミだけ
ひとり身をふるわせ 火傷をしたあなぐまのように
泣きながら
逃げて 逃げてゆく
(福井桂子 詩集『優しい大工』より「優しい大工」部分/1969年 思潮社刊)
◆
今日、9月26日は福井桂子さんのご命日です。
『優しい大工』は、福井桂子さんの第一詩集です。
あとがきの「わたしたちのひとしく生を受けているこの時代に、
もしもわたし自身の感受していることを完璧に表現しおおす詩、
詩人をもつことができるなら、怠惰なわたしはけっして自分で
詩を書こうとはしないでしょう。ほんとうに、わたしはそのような
詩また詩集を持ったと思えたとき、二七歳のころ詩を書くのを
しぜんにやめました。しかし日々の営みのなかで、わたしはわたし
でしかないというおそろしく単純なことに、再び気づかなければ
なりませんでした。そしてまたぼそぼそと、詩を書きだしました」
という言葉を幾度も読み返しています。
◆
種をまくには遅いと思いながら、枝豆の種をまきました。
あ、芽が出たと思ったら、あれ?自立せずに、つるが巻きはじめた?
枝豆ってこんなだったかしら。
ジャックと豆の木?
それからつるがどんどん伸びて、枝豆はではなく、スイカができました(笑)。
あらら?そういえば、枝豆をまいたまわりに、スイカの種をまいたような……。
大きさはこのくらいです。
中はこんな感じでした。
巻きひげ?が枯れたら収穫時期ということだったのですが、ちょっと早かったかしら。
味は、思ったよりも甘みがあってちゃんとしたスイカでした。
いくつかできたのですが、雨が続いてその後は実が大きくなりそうにありません。
一番大きな実は、中がほとんど色づいておらず、残念でした。
蔓はいまだに伸びつづけています。