屋根屋
魂の籠や桶を
つくっているのだろうか
あの水晶小屋では
屋根に 百合のはなが咲いている
いつもしんとしているから
草と雨のにおいがして
かなかな蝉がないて
ときおりは
胴の長すぎる縞しまの猫が
のっそりと出てきたりはするけれど
またときおりは
荒織りのレースのカーテンをしっかり掴みながら
くるったような女のひとが
出てきたりはするけれど
空を 青く真四かくに
切りとってこれるように
どんな風吹きの日も窓をあけている。
(福井桂子『浦へ』より「屋根屋」)
9月26日は、福井桂子さんのご命日です。
毎年、詩集を読み返しながら、紹介したい詩を選ぶのですが、
何篇も書き写しては思い直し、なかなか決められませんでした。
詩集を読み返すうちに全篇がつらなる長篇詩のように感じられ、
さらに全詩集からなる長篇詩を読んでいるという思いを、
今年はとくに強く持ちました。
一貫して同じテーマで書かれた一生分の詩から、
立ち上がってくる詩人の姿に向かい合っているような気がします。
◆ ◆ ◆
写真の花は、先日の台風のときに撮ったコバルトセージ。
夜が明けたら、庭木の大きな枝が折れているとご近所さんが
おしえてくれて、風が止むまではらはらした台風でした。
それに影響されてか、最初に選んだ詩は『浦へ』所収の「嵐」でした。
娘はいま、三木卓さんの『K』を読んでいます。
私はこれからの人生で優先して取りかかりたいことを、
自分の年齢とあわせて考えています。