夢を見た。
なぜか、わたしはフランスで絵を描いている。
窓の向こうにはちいさなまるい実をつけた細い枝が見え、
外気は明るく澄んでいる。
影になった窓の下に、絵を立てかけている。
「どうだろう……?」と知人にたずねる。
「うーん……」とわたしの絵を見ながら、知人は言いあぐねる。
そして絵というよりもわたしの生き方に問題を向けてなにか言いかける。
その言葉に反応したわたしは
「わたしには使命感のようなものが必要なの。
そういうものがないと独りでがんばれないの」
と必死で言い放ってしまう。
とほほと思いながら目が覚める。
夢のなかでもやっぱり扱いにくそうな自分が人を困らせている。
それに使命感などという言葉を不用意に使ってまで
がんばろうとしているなんて……トホホ。
ただ夢とはいっても、自分で自分に疲れてしまうようなところは
じゅうぶん思い当たるわけで、わざわざ夢にまで見て
これ以上なにに気づきなさいという暗示なのだろう。
実力が無い分せいいっぱいやらなければ間に合わない
という思いがいつもあって、空をかくようでもどかしい。
そしてやはり自分の無力さにうなだれながら、
それでも生きていかなければならないとあきらめをつける。
がんばってもだめなものはだめという夢だったかもしれない。
よくわかっているので今さら暗い気持ちにはならないけれど。
逆に夢の中では、木の床と白い壁、緑が見える木枠の窓、
大きなテーブル、シンプルな木の家具、
十分な明るさとやさしい影と清々しい空気のある部屋に住んでいて、
そのへんは好きなものに妥協が無さそうだったので安心する。
しかもなぜかフランスだった(笑)。
☆
その夢の原因ではないだろうけれど、この間「役不足」という言葉を
反対の意味で使うという絵に描いたような失敗をしてしまった。
言いながら、あ、逆の意味だったかもと思いながらも言い直せず。
相手の方に対して失礼な意味にあたるわけで、非常に恥じ入る。
取り返しのつかないことが多いだめなわたしである。
「実力不足」でした。ごめんなさい。
☆☆
これは「ゼネラル・レクラーク」という洋梨です。
いただいたもの。(ありがとうございます)
押してやわらかくなるまで追熟させて食べるようにと
親切におしえてもらった。
軸のまわりにすこし皺がよったら食べ頃というのを
大橋歩さんのブログで読んだので、安心して皮をむく。
(ラ・フランスの話だったけれど)
大橋歩さんて、若い頃とても好きだった。
ひさしぶりに描いたり書いたりしているものをみたら、
今でもやっぱり好きだった。
そういえばなぜか職場の机の引き出しには今、
大橋さんが「村上ラヂオ」に絵を描いた何年も前の
『an-an』がはいっています。
その頃となりが本屋さんだったのでずっと買っていたのでした。
なんだかなつかしいな。
本屋のおじさんおばさん元気かな。
自分がしていることの何倍も、人からよくしてもらっている。
たくさんの人がやってきて、それぞれの人生を語ってくれた。
日々感謝。
そう、失敗も多かったけれど、だめな分せいいっぱいやったかも。
よしよし、今年もよい年だった。
☆☆☆
今週は忙しいだろうと思って、先に一年のまとめをしてしまいました(笑)。
でも、皆さんほんとうにありがとうございました。