現在は、理・美容室として使用されている「旧図書館」。
2003年に、修復再建された「旧山吹舎」。
山吹舎修復について (園内掲示板より)
山吹舎は、1928(昭和3)年大工・左官工事もすべて入所者の園内作業
で建築され、爾来、1977(昭和52)年まで独身男子軽症寮として使用され
てきました。一部屋に多いときは8名が入居し、互いにいたわり合いながら
療養生活を送りました。
建築当初は廊下前のガラス戸はなく、雨戸だけで戦後もしばらくは続き
ました。戦前、戦後の困窮の時代には、療養と園内作業と食糧の確保に
畠を耕し、暖をとるため室内で薪を燃やし、お湯を沸かして生き延びてきま
した。各部屋の舎前には築山、池など小庭を作り療養生活のうるおいとし
ました。
1996(平成8)年らい予防法の廃止、2001(平成13)年熊本地裁における
ハンセン病達憲国家賠償訴訟の勝利、小泉総理大臣の控訴断念など、
患者・元患者に対する名誉と権利が回復され、偏見差別も徐々に改まり
つつあります。
多磨全生園の入所者は、かねてからお世話になった地域に縁を残そうと
木を植える運動を続けてきました。と同時に、長く過酷であった療養生活の
証しを後世に残そうと、ハンセン病記念公園「人権の森」構想対策委員会を
結成し、崩壊寸前の山吹舎の修復保存のための基金を入所者と地域の皆
様にお願いし、ようやく完成の運びとなりました。ご寄付くださった皆様に、
厚く御礼申し上げます。
願わくば、私ども入所者の終焉の後も、私どもが生きた証し・歴史の証人と
して、永く保存していただきたいと念願しております。
2003(平成15)年10月
ハンセン病記念公園 「人権の森」構想対策委員会