載せるのをためらっていたのですが、新米のおにぎりです。
実家では、稲刈りが終わると、新米を塩むすびにして、
塩引き鮭とお漬物だけの夕飯を食べました。
新米は、おかずがなくても、おいしい。
みずみずしく、つややかな新米を、熱いままにぎった
おにぎりは、湯気さえもおいしく感じたものでした。
それは一度だけの、ごちそう。
農家では、再び、古いお米から食べるのです。
そんなことを思い出しながら、簡単な献立で。
おでんのようなものが食べたかったのです。
ふろふき大根よりも、おだしのしみた大根を。
疲れていたので、できるだけ簡単にと考えて、
昆布を敷いた上に、皮をむいた大根と竹輪をのせて、
水をはって、電子レンジにかけただけのものです。
竹輪からおだしと塩分がほどよく出て、
薄味ですが大根もおいしく食べられました。
むいた大根の皮と茗荷の酢漬けを、漬け酢で和えて
酢の物に。
朝のお茶漬けですよ。
これ、明太子を切ってのせるとか、上品にすればよかったなあ。
いただきものの板わかめのお茶漬けです。
板わかめ、おいしいですよね。
焼いた明太子と、梅干と、紫蘇の実の佃煮と、わさびをのせて、
緑茶をかけただけですが、板わかめのほのかな旨味と塩分と、
明太子の香ばしさで、しあわせな朝ごはん。
◆
今年はほんとうにつらいことの多い年でした。
農家の娘ですから、お米一粒でも粗末にしてはいけないと、
苦労も、自然への慎ましさも、恵への感謝も、見ながら育ちました。
今年、収穫したお米が食べられないと言われた人々の
悲しみはどんなに大きいことでしょう。
「汚染米」という言葉の非情さにも、胸が痛みます。
被害者という言葉があるならば、お米は被害米だろうと思います。
経済的なことばかりでなく、自然の恩恵を無駄にしてしまうことへの
つらさもあることでしょう。
生きていくために、わたしたちは賢い判断をしなければなりませんが、
まずは今大きな悲しみのなかにある人たちが、
あたたかな場所で心身を休めることができるように祈ります。