草の実で、リースをつくりました。
今年、多くの草たちは、赤い実も青い実もつけることなく、
刈り取られてしまったことでしょう。
子どもたちが花に顔をよせることも、
その実を摘むこともゆるされずに、
葉を赤く燃やすことも、種をこぼすこともできずに、
かなしいつみをかぶって
刈り取られてしまったことでしょう。
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職場にみえた86歳の女性の言葉。
「これからは、ちゃんと声に出して言うことにします。
嫌なものは嫌だと。原発なんてやめてほしいと。
わたしもデモに参加したいわ。できるかしら」
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落合恵子さんのブログで紹介されていた動画↓
ぜひ聴いてください。
6分53秒ほど、明快で、深く強く胸を打つ言葉です。
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友人がおしえてくれた、この歌も。
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シモーヌ・ヴェイユの言葉を。
人間の立てる国は、その完全さの程度に応じて
それぞれ多少の差はあっても、そこに住む人々の生活を、
詩で包むものである。その国はみな、世界という国の像であり、
反映である。なお、その国が国家という形をとり、それぞれが
故国(祖国)になりたいと熱望するようになれば、その姿は
ますます、形のくずれた、汚いものになってくる。しかしながら、
物質的にも、精神的にも、国を破壊したり、または、人間を国から
追い出して、社会の屑のような存在にまで突き落としたりするのは、
人間のたましいと宇宙との間にある詩と愛のつながりを、すっかり
断ち切ってしまうことになる。人間をむりやり、みにくさへの恐怖の
うちに深く沈めてしまうことになる。まずこれ以上にはなはだしい
罪は、あるまい。わたしたちはだれもが、ほとんど数えきれない
ほどと言ってよいたくさんなこういう罪に、共犯として加担している
のである。わたしたちはみな、理解しうる心さえあるならば、この
ことを血の涙を流して嘆かねばならないはずである。
(シモーヌ・ヴェイユ『神を待ちのぞむ』田辺保・杉山毅/訳、勁草書房刊)