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● 今年もよろしくお願いいたします。 ●
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新しい年に、なにを願いましたか。
今年は近所の神社にお参りして、 ●
健康祈願の絵馬をかけてきました。
思うようにならないこともたくさんあるけれど、
よいこともきっとあるよ。
たとえたった一つでも、希望は手放さないでおこう。
今はまだ冬だけど、●
何年も前の夏に、蛍を見にいったことを覚えてる?
君のてのひらのなかで蛍が光って ●
暗がりのなかで指さきが透けて光って。
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● 昨年は、二つの土地を行き来するのに疲れ
さすがに限界を感じ始めた頃、
15年間つとめた職場を閉めると告げられました。
なんだかどんどん背中を押されるように、
自分のちからでは変えられないことが次々とおこって、
まさに人生の転機となった一年でした。
職場に出入りしていた宅急便のお兄さんとも
「今日でおしまいだから、いろいろ無理も聞いてもらってありがとう」
と別れを惜しみました。
しばらくするとまた配送の車の停まる音が。
ドアをあけると顔なじみの宅急便のお兄さんが
二人並んで立っていました。
「今日で最後だって聞いたんで」
と他を回っていたのにわざわざ挨拶に来てくれたのでした。
みんなやさしくて、うれしかった。
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そういうささやかだけどいつまでも消えないあたたかなことが
いくつかあればこれからもだいじょうぶという気がします。
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暮れに「原発の町を逃れて~双葉町避難民の記録」という
ドキュメンタリー映画の本編と続編を観ました。
監督は堀切さとみさん。
はなちゃんは元気かな。
みんなに穏やかなお正月を。
ゆきばのない気持ちにゆれ動いてしまうことも多いけれど
問題の最初の最初がなにだったのか、
それだけは見誤らないようにしようと心に決める。
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寄り添うという言葉がうまく使えなくなった。
寄り添い方がわからなくなってしまったのかもしれないし、
最初からわからなかったのかもしれない。
たとえ親しい関係でも、あるいはそうだからこそ
無力さにもどかしくぎこちなくなることもあるわけで。
抱きしめたいと思う気持ちをゆるめるという方法もあるのだと
待ちつづけるという希望の持ち方もあるのだと
でも決してあきらめたりはしないからと
思いだけは涸れずにあふれつづけている。
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以前住んでいた街から遠く離れた小さな図書館で、
ふと冊子を手に取る。
「想いでできた土地ーー多磨全生園の記憶・くらし・望みをめぐる」
というハンセン病療養所ガイドブックでした。
思わぬ偶然に、離れても切れずにつながっていたというような
不思議な感慨が湧いたのでした。
かつて訪ねたその場所に懐かしささえ感じています。
病身の入所者が作業で出た枝木や切り株を積み上げ、
自らの手で築いた「望郷の丘」。
それぞれに故郷の方角を眺めたというその丘のことを
時々思います。
同じように、今いる場所から、離れている人や場所を思います。
そしててのひらをひらくように思い返します。
ささやかなよいことを。よい人たちを。
瞼を閉じた時だけ光る、真冬のほたるのように。●
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