★新井豊美さんの評論集、『「ゲニウスの地図」への旅』と『歩くための地誌』が、
思潮社から同時に刊行されました。 *
だいぶ前に書影を撮ってあったのですが、なかなか載せられずにいました。
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新井豊美評論集 Ⅰ 『「ゲニウスの地図」への旅』
新井豊美評論集 Ⅱ 『歩くための地誌』
〈昭和十年代に生まれたものにとって、戦争とは、余儀なき原点〉として
詩的出発を果たした著者の、生涯をかけて貫かれた問いの姿勢。
新井さんの《「遅れた返信」》である「「ゲニウスの地図」への旅」は、
菅谷の往信「戦後詩の帰結」がみずから顕わにしている、この詩的論理の
難路をどう見ているのか、そこがわたしの関心の赴くところでした。
――北川 透
(帯文より)
対象へのと澄明な眼差しと詩への愛情に支えられた14の詩人論と、
著者の詩の魅力に通じるエッセイ「歩くための地誌」を収載。
新井さんは対象世界に、歴史的視点で
存在主体に問いかける核心につきすすむことを目指していった、
そこに新井さんの宿命的な倫理としての特性をみる。
――倉田比羽子
(帯文より)
誰のこころにも、
どんな犬にも、
歩行のための地図
というものがあるだろう。
そのための地誌を語りたい。
(帯文より)
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『歩くための地誌』のなかに、「私の九州(二 )」というエッセイが収められている。
石牟礼道子の自伝的小説『椿の海の記』にふれながら、幼年時代の道子が見つめる
「おもかさま」と呼ばれる老女のくだりに呼び起こされた自身の記憶も語られる。
太平洋戦争末期に、新井豊美さんは宮崎県の細島という港町で半年間ほどを過ごす。
まだ小学校三年生くらいだった新井さんは、「後に移り住んだどんなところよりも
やさしかった」人々がいた土地で、老婆との「どこかかなしい」思い出を体験する。
子どもらしい好奇心と、子どもならではの罪悪感とが入り混じった複雑な思いが切ない。
子ども時代の生真面目さは、大人になった新井さんの作品や姿勢からも感じられ、
詩作品を読む手がかりとなるエッセイだった。
そしてそれだけではなく、わたし自身の内なる子どもも一緒に、「泣きそうになっ」た。
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きよしこの夜 ★
わたしたちのかたわらで眠る子どもたちと
わたしたちの心のなかにいる子どもたちが *
やすらかでありますように
苦しみはとりはらわれ
病むものはすこやかに
だれもが幸福な夢のなかにありますように
きよしこの夜
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