4月14日は、古賀忠昭さんのご命日です。
じごくにゆくもんんのこは じごくにゆくと きまっとるから ゆめにも ごくらくの
ことなど おもわんで じごくに ゆくことだけおもうて いきて ゆけば よかとやから
いまのまま くるしくても じごくに ゆけるとおもうて やって ください
(……)
じごくに いっても いきとるときと かわらん ことやから じごくに
いっても おなじよに くるしかことやけど くるしくても いきとるときと おなじやから
しんぼ でくるし なんの しんぱいも なかとです
(『血のたらちね』「ちのはは」/書肆山田より)
いろいろなことがあって、今ふたたび読み返すと、あらためて気づくことや、
励まされるところがが多い。
『血のたらちね』の、古賀さんの優しさが、胸に沁み入る。
詩集は、人生の折々で、読み返すためにあるのだと思えてくる。
自分ひとりでがんばろうと思っても、なかなかうまくいかないことが多いけれど、
人の優しさに触れて、最初の一歩を踏み出して、先ずはできることから、後は地道に、
時折つまずいては、また励まされながら……そうやって恢復し、自分を取り戻していく
のかもしれない。
かんたんではないけれど、だんだん冷たく白くなっていた指さきにも血が通いはじめ、
ほんとうの意味でがんばろうと思えてくる。
そして生きていくことができる。
闘病中に『血のたらちね』を書いた古賀さんは、死をも見据えていたと思うが、
不屈の言葉は、生きるためにあったと思えてくる。
確実に死に向かっているわたしたちにとっても、寄る辺なき道すじの明かりとなる。
写真は、古賀さんの記事にふさわしいか悩んだけれど、雨の城ヶ島。
錆びて朽ちていくものも、人々の営みも、雨に打たれて、休息している。
群れて咲くハマダイコンが優しかった。
アミとわたしは
入口の軒下で
西武線練馬映画劇場のおばあさんの足が
二人の庭で枯れている木のようだと思って
眼を合わせている
こんな雨の日には
いちばん前の席で
死んだいいひとがただみをする。
せっかくわたしんとこに帰ってくるのだから
いい映画をかけてあげたいと思っている。
すぐにあがる雨だとかわいそうだから
いい映画をみせたいと思っている。
雨のくるころは毎年、
いい映画をかけてあげることにしている。
(……)
「(……)
西武線練馬映画劇場のおばあさん
いいひとはみんな
屋根の上のほうにいるとわたしも思います」
(『アミとわたし』稲川方人/書肆山田より)
いい人はみんな、屋根の上のほうにいるとわたしも思います。