*先週はパソコンの調子が悪く、あれこれ試みているうちに
インターネットにつながらなくなり、お手上げ。
プロバイダのサポートに電話をして、懇切丁寧な指南によって回復。
パソコンは使えるようになったものの、以前の状態に戻らず、
時間ばかりを無駄にしています。
メールの返信が遅れています、ごめんなさい。
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先日、岩波ホールで、『オレンジと太陽』という映画を観ました。
母と引き離され海を渡った13万人の子供たち。
英国最大のスキャンダルといわれる
“児童移民”の真実を明らかにし、
幾千の家族を結びあわせた一人の女性の感動の実話。
(映画パンフレットより)
身を守ってくれる者もおらず、また自分の身元を確かめる物も
無いまま、大人にならねばならなかったかつての子どもたちが、
自分の中心は「empty」だと苦悩します。
その話に耳を傾け心のよりどころとなりながら、遠く離された
家族との橋渡しをするマーガレット・ハンフリーズという女性を
エミリー・ワトソンが演じています。
最も好きな女優。
実在の女性に限りなく近いだろうと思わせる信頼できる演技。
家族や故郷から引き離された子どもたちの願いは、
「自分は誰なのか」という基本的で切実な問いの答えを見つけること。
映画パンフレットで、国際法学者の最上敏樹さんという方が
そういえば、「自分が誰であるかを知ること」が基本的な人権である、
と明記した人権条約はない。だが、よくよく考えると、これはきわめて
本質的な人権なのではないか。
と書いています。
これはその前後もあわせて読んでいただきたい文章です。
パンフレットに掲載されたそのほかの方々の解説も、
深く胸に落ち、考えさせられました。
たまたま同時に読んでいた、『雲の人びと』
(ジェミア&J・M・G・ル・クレジオ/村野美優 訳/思潮社 刊)
も、自分のルーツをさらにその始まりへとたどる旅を書いたものでした。
強い日射しの国に住む人びとと風景、そのなかにとけこむ妻への
深い眼差し、美しい描写。
実現した閉ざされていた土地への帰還を読みながら、砂漠という
異国の地でありながら、なぜか懐かしい気持ちさえ湧いてきました。
放射能や地震の問題、また様々な事情で故郷を離れなければならなくなった
この国の人びとの思いもそこに重なるように思います。
原文の美しさをそのまま感じられるような清々しい訳にも感動しました。
雲の人びととその土地の風が、訳者のからだを通過していったかのようでした。
遥かな砂漠の人びとを思わせる青い帯が印象的な装幀も、美しいです。
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さて、『オレンジと太陽』の原作である『からのゆりかご』が届きました。
先日観た『サラの鍵』も、原作を読んでみましたが、映画を観ながら
気にかかっていた登場人物の台詞を、原作では言っておらず、
わたしとしてはほっとしました。
映画の演出上、効果的であったとしても、登場人物の人格に関わる
それを言わせてもよかったのかどうか、わたしにはわかりません。
たとえばそんな違いに気づくと、映画と本、両方で考えたり
楽しんだりできますね。
そういえば『サラの鍵』も、実際にあった事件がもとになった話でした。
『オレンジと太陽』「サラの鍵』どちらもよい映画でしたが、
問題の描き方に、監督の個性が感じられて、そこからまた自分ならば
どうするだろうと考えています。
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きのう咲いたFrancis dubreui。
あずちゃんの薔薇、咲きました。