『ドゥルーズ 千の文学』(宇野邦一・堀千晶・芳川泰久=編/せりか書房)
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文学を生殖せよ
生・言語・身体の限界へと挑む哲学者ジル・ドゥルーズが描く、
異形の文学者たちの肖像。アルトー、カフカ、プルースト、ロレンス、
ベケットから、ボルヘス、マゾッホ、ヘルダーリン、マンデリシタームを
横断する鮮烈な文学地勢図。
(帯文より)
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これから読みたいと思っているのですが、
3名の編者ほか22名の多彩な執筆者による、厚く多様な内容のため、
この本についてなにか一言添えるには時間がかかりそうなので、
新鮮なうちに、まずは表紙だけを紹介させていただきます。
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この本は、ドゥルーズが繰り返し参照し読解した文学者たちを扱う論考だけではなく、
ドゥルーズと響きあうモチーフを濃厚にもちながらも、ほんの少ししか言及されなかった
作家たちについては、ドゥルーズが書いたかも知れない作家論を仮構するような
論考もおさめている。全体としては、ドゥルーズ研究になんらか寄与しうる
文学論の集成だけである以上に、数々の文学理論が出尽くした世紀の後で、
「文学とは何か」という問いをあらためて問う論考が、交錯し乱反射する場に
なっているなら、私たちの望みはほぼかなえられたことになる。
(「はじめに」/宇野邦一 より)
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宇野邦一、堀千晶、芳川泰久という3人の編者による
「ドゥルーズ 千の文学」という鼎談から始まり、
港千尋、豊島重之、多田雅彦、大宮勘一郎、松本潤一郎、
西脇雅彦、川本恭久、山崎敦、江澤健一郎、千葉文夫、
大山戴吉、森井良、門間広明、澤田直、佐々木泰幸、
合庭惇、宮林寛、貝澤哉、谷口亜沙子、福山智、國分俊宏
という執筆者。
「アルトー 思考の死または生殖性/宇野邦一」、
「カフカ ホロビならぬフルビの戦意/豊島重之」
「クロソフスキー 思考の名前/松本潤一郎」
「バタイユ マイナー文学論/江澤健一郎」
など、あいうえお順に44の論考が並びます。
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芸術家=文学者とは、花を見ながら、花が見るように、視覚と感覚
(さらには情動さえも)を対象とともにすることのできる存在である。
そしてそれを、対象としてのいくつかの文(文学テクスト)そのあいだで
思考を介して行うものこそが哲学者であり、そのように思考の主体を
対象とのあいだで破棄すると同時に転倒・共有することが
概念=コンセプトの生成にほかならない。とすれば、文学テクストとは
何をもたらしているのだろうか。その在りようを、ドゥルーズという名の
参照者とともに、その参照者が記した文とともに、できうるかぎり
視界に浮上させてみたい。それがこの本の、あるとして、望みの
ようなものである。
(「あとがき」/芳川泰久 より)
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これまで常識的な読書をしてこなかった不勉強なわたしには、
歯が立たないのではないかという戸惑い以上に、
読むことへの期待をたかめてくれる「はじめに」と「あとがき」の言葉。
逆にこの本を、これからの読書の手引にしていけたらと思います。
皆様、ぜひお読みになってみてくださいね。