ベランダから、向こうの梅畑が見えたので、
日も暮れかかっていましたが、行ってみました。
夕闇と混じり、顔に寄せる梅の香りもいっそう濃くなったように感じながら、
低い梅の木のあいだを歩きました。
1本だけあった紅梅。
わずかな光に透かして撮った白梅。
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地震の後、読んだ本のなかに、こんな言葉を見つけました。
私たちは生きるために、自分自身に物語を語り聞かせる。
――ジョーン・ディディオン
治療不能の病と宣告されてもなお、最期まで闘い続けた
スーザン・ソンタグを見つめ、寄りそった息子デイヴィッド・リーフによる
亡くなるまでの9か月間の記録、
『死の海を泳いで―スーザン・ソンタグ最期の日々』
(デイヴィッド・リーフ著・上岡伸雄訳/岩波書店)のなかに。
母親似?切れの良い文章で、日本語訳も清潔で洗練されていると感じました。
スーザン・ソンタグの生き様を感じる部分を。
何にでも希望を見出す母の習慣は、ここでも絶望を上回った。
医師の宣告を受けて動揺し、それでもわずかな可能性を
捨てようとしないソンタグの姿に胸を打たれ、励まされます。
これから本を読む人のために取って置くべき言葉は、いつもならば
控えるのですが、今日は特別に、書きとめたいと思います。
悲しみの谷では、翼をひろげよう
――スーザン・ソンタグ
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何人もの方が心配してくださったので、近況を。
先週は、朝にならなければ電車が動くかどうかわからない状況での
通勤に精一杯で、慣れない計画停電にも緊張が続きました。
初めての停電で、思ったよりも明るい月明かりを眺め、
自宅は停電すると水道の水も出ない建物だったのだと知りました。
地震当日は、帰宅しドアを開けると、棚から落ちた皿や小物が割れ、
ペットの餌や本が散乱し、水槽の水はゆれてあふれ、水浸しでした。
のび太の飼育箱は、金網をのせているだけなので心配でしたが、
それがはずれることもなく、無事でした。
飾っていた硝子や陶器のものがいくつも壊れました。
被災地の方々は、この何万倍もの悲しみと恐怖と不安を
経験しているのだろうと思いながら、砕けた破片を拾いました。
落ちても傷がつかなかった地球儀を、思わず両手で包みました。
翌朝ベランダを見ると、かなり重い薔薇の鉢が一つ、
誰かが置いたかのように、下に落ちていました。
幸いプラ鉢でしたので、割れることはありませんでした。
その鉢で、カワラナデシコの花が咲いていました。
ガラスの大皿が落ちても割れていなかったり、
逆にいくつかの小さな幸運も見つかり、感謝しました。
物は壊れましたが、生活に支障はありません。
大好きな人たちのいる八戸や、
何度か通った美しい海岸線が思い出され、
そのような故郷の風景と同時に、大切な方や、家や、町を
失ってしまった方々の悲しみを思うと、胸が塞ぎます。
あたたかな食事と住まいと、安全で清潔な環境が、
一日も早く、被災し避難された皆さんに戻りますように。
私たちは生きるために、自分自身に物語を語り聞かせる。
共に、生きるための物語を、語りあうことができたらと思います。