お盆でした。
東北生まれのわたしには、7月のお盆はぴんときません。
8月の暑いなか、日傘をさしてお墓参り、そして毎年決まった精進料理。
母は今年も帰省しないのかと思っていることでしょう。
友人が、職場に差し入れてくれた新聞を見たら、
東北の各地で、新盆の供養をする写真が載っていました。
土地とは、住むだけではなく、先祖が眠る代々のお墓もある場所なのですよね。
長い間、家族と共に、農作物や家畜を育て、働き、守ってきた土地です。
そこから離れろと言うことが、いかに酷いことか。
「鎮魂」とは、人が生きていくための言葉でもあるように思います。
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映画『ボーンコレクター』のDVD特典映像で、主演のデンゼル・ワシントンが、
役作りのために事故などにより身体機能を失った人々の話を聴き、
なかでも選手生命を絶たれたスポーツ選手の絶望感について
話していたと思います。(かなり前に観たので不確かですが)
震災そして原発事故が起こってから、そのことを度々思い出しています。
治る見込みのない状況を、人はどのように受け容れるか。
映画は、連続する陰惨な事件を解いていくというもので、
目を覆いたくなるような場面も多かったのですが、
ベッドから動くことができない状況でありながら、
明晰な頭脳で犯人と闘う科学捜査官の活躍に、
人間のあたたかみと希望を見出せる後味のよい作品でした。
病気や怪我から、人は時に奇跡的に恢復します。
けれども治る見込みのない状況から、どうやって起ち上がるのか。
次々と悪い事態ばかりが起こるこのやりきれない状況に重ねながら、
それでもわたしたちは生きていくのだということを考えています。
今号の『映画芸術』436号は、とてもよかった。
それぞれの思いや被災地のレポートを綴った「震災異論」と、
「原発」「核」「原子力」を扱った映画をそれぞれ5作選ぶ形の
「私の映画史――緊急特別篇」。
特集「震災異論」から、ちょっとだけ抜き書き。
この震災に、人としてささやかなことは私にも出来るだろう。
ただ、カメラマンとして、今何が出来るかという問いや、何か
しなければという使命感は生まれてきてはいない。カメラマンとして、
今出来る仕事を精一杯やるだけだ。いつもそうしてきたように。
(山崎裕「震災とカメラマン」より)
人々の意識は、被災地とそれ以外の場所との埋めがたい落差によって
引き裂かれ、既知だと思われていた事項と、未知の、未来に影を投げる、
前代未聞の恐怖に引き裂かれている。原子力発電や、放射能の汚染が、
全世界的、世界史的な問題でありながら、同時に日本に住む者の日常に
密着した問題であることに引き裂かれている。だから、一つのナショナルな
全体性として日本を表象することは、もはや不可能である。今回の震災は
むしろ、ナショナルな想像力への亀裂として作用したし、これからも作用
し続けるはずなのだ。
(安川奈緒「「3分11秒の映画」について いくつかの考察」より)
安川さんの文章に最も今の気持ちが整理され、共感しました。
少しだけ抜き書きした分、全体の主旨が伝わらないといけませんから、
どうぞ『映画芸術』436号で、全文をお読みくださいね。
特集以外のページも読みながら、今胸につかえているやりきれない思いを、
語り合ったような気持ちになりました。
静かな決意や、こらえている怒りや悲しみや、そのなかであふれてくる思いやりや、
皆が不安な状況にじっと耐えながら、まずは一日一日を精一杯生きているのだと、
そういう書かれていない姿も見えてきて、張りつめていたものがほどけてくるようでした。
編集部雑言や編集後記もよかった。
被災地の現状や未来やそれぞれの悔しさを思って泣けて、
その後で、新藤兼人監督のお孫さんの新藤風さんによる
「一枚のハガキ 撮影日記」を読んだら、また泣けました。
自然にいたわり寄り添っているようなのだけど、それがとてもよい感じ。
映画『一枚のハガキ』は既に封切られていますから、観に行きたいです。
かけがえのない人を大切にしよう。
大切な人を、ちゃんと守ろう。
悲しいけれど、生きていこう。
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こんなに暑いのに、今年はHeritageたくさん咲きました。
わたしは久しぶりに髪を切って、自分を取り戻した気分。