矢野静明展「毛玉と糸くず」----- Pill and Lint -----
2022年4月2日(土)〜10日(日)
月〜金 16:30−19:00 / 土・日 11:00−18:00
※4月5日(火)休廊
※最終日の4月10日は17:00まで
GALLERY FOLIO → ◆
矢野静明さんの個展、四谷駅より徒歩5分のGALLERY FOLIOにて、
開催中です。
東京は、花びらが舞っているかもしれませんね。
矢野静明展「毛玉と糸くず」----- Pill and Lint -----
2022年4月2日(土)〜10日(日)
月〜金 16:30−19:00 / 土・日 11:00−18:00
※4月5日(火)休廊
※最終日の4月10日は17:00まで
GALLERY FOLIO → ◆
矢野静明さんの個展、四谷駅より徒歩5分のGALLERY FOLIOにて、
開催中です。
東京は、花びらが舞っているかもしれませんね。
●坂本麻由里さんとただあやのさんの2人展●
Hodgepodge vol.2
明日2月4日(木)から9日(火)まで
(12時ー19時)
吉祥寺駅近くのにじ画廊にて開催されます。
●
なかなか会場に出向けないなど厳しい状況ではありますが、
逆に広く共有できる方法を活用できるようになりました。
その作品と出会えてよかったと思う未知なる人のところへ、
偶然を装いながらもきっと届けられるのだろうと思います。
そんな出会いの瞬間を想像することは、とても素敵です。
◆ 北見俊一の仕事 = 水仁舎の仕事 ◆
――本が語るもの――
2020年9月15日(火)―27日(日)
12時〜19時(日曜 18時まで・月曜休廊)
◆
芸術や文学、伝統的な工芸や手仕事、それらが求められる未来のために、
新しい知恵が生まれ、生かされますように。
矢野静明展 リントの森 lint=糸くず
2019.10.4 Fri.――10.14 Mon.
13:00〜20:00
※10月8日(火) 休廊 最終日 19:00迄
ギャラリー・フェイス トゥ フェイス
詳細は→■
◆
先日は国立新美術館へ。
北島敬三さんの写真の前で圧倒される。
東北育ちの私にはどこかで目にしたことがあるような風景なのに、
北島さんの写真でなければ出会えない世界。
瞬きの後には失われてしまう一瞬に立ち会っているという実感が湧く。
ここに写し出された世界をこの目に焼きつけておきたいのに、
全てを記憶することはできないという崩折れるような思いと、
息を止めた永遠と対峙するような感覚。
震災後に北島敬三さんの写真を見たときの気持ちが蘇った。
ありありと。
人間の記憶の容量をはるかに超えたカメラの眼差しで、
視界の隅々、細部までをも写し出す。
壊れているものも、失われてゆくものも、
静かにその摂理を受け容れている神々しさをも感じる世界。
写真の前で、私は独りで、一切のものから切断されていて、
失いつつあるこの一瞬が名残惜しくて切なくて……
となんだかそんな思いが次々湧いて、こみあげてくるのだった。
「わたしはまもなくしんでゆくのに/せかいがこんなにうつくしくては こまる」
という吉原幸子さんの詩の一節がふいによぎった。
北島敬三さんの写真も展示されている国立新美術館での
「話しているのは誰?――現代美術に潜む文学」は
11月11日(月)まで。
詳細はこちら→■
シヒアカリ:blind brightness
――書とダンスのdiptych――
8月30日(金)・31(土)・9月1日(日)
◆八戸ポータルミュージアム はっち◆
シアター2 & ギャラリー2
豊島重之がのこしていった「しひあかり」とは。
宮沢賢治『ながれたり』から引かれた大鴉の水場。
果てしのない流星雨を浴びながら、夜の夜の、夜を行くひとりの旅。
盲目と明視をめぐり、はたはたとひらめく蝶の羽。
不時着を畏れまい。
(フライヤーより)
会場アクセス ▶
今年1月6日にご逝去された豊島重之氏が、1月2日に決めた日程で開催されるそうです。
8月30日と31日には、ライブおよびトークイベントも予定されています。
日程と内容は、こちら ▶のサイトでご確認ください。
お知らせが直前になりましたが、皆さまどうぞ八戸へお出かけください。
◆
また、モレキュラーシアターとゆかりの北島敬三氏の写真も展示される催しが、
本日8月28日から国立新美術館で始まりました。
話しているのは誰?
――現代美術に潜む文学
8月28日(水)―11月11日(月)
◆国立新美術館 企画展示室 1E◆
こちらもアーティストトークが予定されています。
詳細はこちら ▶
芸術の秋、到来です。
美術館へ行きましょう。
「ガザ」油彩・キャンバス・インク 2018年
2019年5月17日(金)→26日(日)
月〜金 17:00―19:30
土・日 11:00―18:00
※5月21日(火)は休廊
※最終日5月26日は17:00まで
※開催中です。
皆様、ぜひお出かけください。
SUMITO SAKAKIBARA
SOLO EXHIBITION
MYTH IN THE BACKYARD
裏庭の神話
2018,11,17 Sat,〜12,1 Sat,
12;00−19;00
Closed on Sunday and Monday
東京メトロ銀座線・半蔵門線「三越前」A10出口より徒歩2分
JR総武快速線「新日本橋駅」3出口より徒歩2分
映像作家の榊原澄人さんの個展、新日本橋駅近くの
YUKI−SISにて12月1日まで開催中です。
アニメーションの原画と一緒に、中尾太一さんの詩も展示されています。
■
榊原澄人さんの絵は初めてと思っていましたが、2014年に
『その月は僕にとっては残酷な月だったけれど、君にはどうだっただろうか』
という公演で見ていることに気づきました。
麻生アユミさんのダンスの舞台で映し出された
一面にこの世界のさまざまな場面が描かれたアニメーション、
その部分に洞窟から泣いて走り出してくる(駆け込んでゆく?)女性の姿がありました。
当時、スーザン・ソンタグの『他者の苦痛へのまなざし』を繰り返しひらいていましたが、
その表紙に、ゴヤの「かわいそうなお母さん!」という絵が使われていました。
ゴヤの泣いている女の子の姿と、榊原さんのアニメーションと
麻生アユミさんの切なく美しいパフォーマンスが重なって、
思い返すと今でもこみあげてくるものがあります。
今回の個展で映し出される映像もそうですが、
場面は反復し、延々と繰り返されます。
繰り返し切断し傷つけるというこの世界の残酷さと悲しみと、
それでも当然のように何度でも復元するという再生の力強さと。
見続けるうちにいつのまにか励まされる思いがするのは、
生まれて生きて傷つくたびに必ず何度でも立ち直るという
わたしたちの生きる姿への信頼を確信できるからのように思います。
初日に行われた榊原澄人さんと中尾太一さんと山嵜高裕さんの
トークがあたたかな内容だったのも、映像と同じものが流れて
いたからではないかと思います。
「友だち」という言葉を聞いたのが、うれしかった日でもありました。
矢野静明展
「潜る・点と線へ」
2018年6月22日(金)→7月1日(日)
11:00―20:00
月〜金は17時〜20時まで、最終日は17時まで
★
お知らせが遅くなってしまいました。
7月1日(日)までです。
四谷のGALLERY FOLIOへお出かけください。
北見俊一の仕事=水仁舎の仕事
―― 本が語るもの――
Part Ⅲ
2018年6月12日(火)―17日(日)
12:00〜19:00 (最終日は18:00まで)
京都市中京区河原町四条上ル塩屋町
編集から、デザイン、印刷、製本、製函まで、
本作りのすべての工程をお一人で行っている
水仁舎=北見俊一さんの個展です。
皆様どうぞお出かけください。
■
詩集の場合はとくに、発行されて数十年経った本を手に
することも多いと思います。
年数を経て疲れた風合いの函からそっと本を取り出すと、
ときに新品のような真新しさで現れ、はっと息をのむことが
あります。
同時に、かるくひらきやすい本も好ましく思います。
紙の質感、色、切り口、糸、文字の形、箔押しの照り返し、
紙の本の美しさと手仕事の丁寧さに触れるたにびに、
書物とはなんて奥ゆかしい世界なのだろうと思います。
猫写真家として活躍中のこがまゆさんの写真展、開催中です。
5月15日(火)~20日(日)10:00~17:00
5月21日(月)10:00~16:00
◇主催
ユヌス・エムレ インスティトゥート東京
渋谷区
◇共催
駐日トルコ共和国大使館
◇入場料
無料
ねこが好きな人も、トルコが好きな人、トルコのねこが好きな人も。
川崎毅と矢野静明 / 宮崎県立美術館
2018 . 1/5(金)―2/4(日)
休館日 1/9(火) 15(月) 22(月) 29(月)
川崎毅
1.街
2.鳥の船
3.郊外〈雲〉
矢野静明
4.聖家族シリーズ 机
5.トラック(轍)シリーズ 深み(1)
6.ジャングル・オン・ザ・ラインNo.4−3
※クリックしていただくと、拡大した画面でお読みいただけます。
アクセス
詳しくは、宮崎県立美術館のサイトでご覧ください。
伊藤二子展 2017
2017年9月16日(土)、17日(日)、18日(月)
10:00〜18:00 (最終日16:30まで)
八戸ポータルミュージアム はっちシアター2
【おしゃべりタイム】
開催期間中 14:00〜15:00
伊藤二子展前夜
Cafe Voix 《聲のアトリエ》
2017年9月15日(金)
18:30〜21:00 (開場18:00)
はっちシアター2 (伊藤二子展会場)
#1.詩朗読+詩劇
ダンスバレエリセ Toshima のメンバーによる
#2.トーク
鵜飼哲/齋藤恵美子/佐山則夫/伊藤二子/豊島重之
前売券 一般1800円/小学生ー大学生800円
伊藤二子さんは、1926年 八戸生まれ。
1972年より毎年、新作非具象画展を開催しています。
今年は、9月15日の伊藤二子展前夜から始まり、9月18日まで開催されます。
何度やってもスキャナーにつなげず写真で撮ったので、
チラシが波打ってしまいごめんなさい。
その絵の迫力は、ぜひ八戸の会場で実感してください。
伊藤二子さんご本人にも、きっと圧倒されることと思います。
Ito 2ko Exhibition 2016
2016年9月23日[金]―25日[日]
10:00―18:00(最終日17:00まで)
おしゃべりタイム 開催期間中14:00〜15:00
八戸ポータルミュージアム
はっちシアター2
(地図 八戸ポータルミュージアムはっち)
私はまつろわぬ民の裔
うけついだ血の量ではない
血の濃さでもない
一滴もなくたっていい
エミシの血
まつろわぬ民の裔
《別展のお知らせ》伊藤二子展in新丁
2016年11月1日[火]―13日[日]金曜定休
14:00〜18:00(土・日・祝12:00〜16:00)
【おしゃべりタイム】11月3日[木・祝]14:00〜15:00
■
ずっと接続できずにいたプリンターをようやくつなぎ、
久しぶりにスキャナを使ったのですが、
伊藤さんの絵の色をうまく再現できませんでした。
みなさま、どうぞ会場でご自分の目で、
伊藤二子さんの絵をご覧になってください。
NI-WA
芸術監督 及川廣信
制作 アルトー館
1部 演劇 清水穂奈美/演出 萩原雄太
2部 ①石の庭 蒼浩人 雪片 相良ゆみ
②宙の庭 小野のん子 村田みほ子
9月10日(土) 16:00/19:00
11日(日) 16:00/19:00
(30分前開場)
KID AILACK ART HALL
5F Gallery
(明大前駅より徒歩2分)☆
予約 2500円/当日 3000円
八戸を歩いていた及川廣信さんの姿を、眩しい波光のように思い返す。
全身に漲る気。
周りに満ちていた美しい緊張感。
透明でありながら、動くものが、わたしにも見えた。
今ふたたび、この目でそれをと思いながら……。
1月21日は、新井豊美さんのご命日です。
ごらん もう雪だ
書物に記されている悲劇的な
終末の破片がぼたん雪のように降ってくる
とても美しい風景だ 古いスクリーンに
白い冬の顔がつぎつぎに映しだされて
だが みんな同じようで
だれがだれなのか見分けがつかない
わたしたちは本質から引き離され
あかるい箱の中でこすれあって
さらにつめたく無関心なあたらしい存在を
生み出してゆくだろう
*
間違っているよ
と小さな声が言った
だれが?
わたしの横に老いた冬の木が
ひっそりと来ていた
(『草花丘陵』所収「日記/冬の木」より)
12月から咲いているのは日本水仙ばかりと思っていたけれど、
こんな八重咲きの水仙も咲いていました。
水仙が好きだったという人のために、花瓶に活ける。
とてもよい香りです。
◆新井豊美さんの遺稿評論集『「ゲニウスの地図」への旅』の
シンポジウムと出版記念会が、7月4日にあります。
詩と評論に関心のある方、またほかの分野の方も、ひろくご参加ください。
シンポジウムと出版記念会、いずれかの参加も可能です。
詳細は以下、チラシから。
新井豊美評論集刊行記念「ゲニウスの地図」への旅
シンポジウムと出版記念会
2012年1月21日に亡くなられた新井豊美さんの遺稿評論集
『「ゲニウスの地図」への旅』と『歩くための地誌』(昨年11月刊)の刊行を記念して、
シンポジウムと出版記念会を行います。
新井氏の残された言葉を通して、戦後の女性表現、とくに、
詩と批評の問題を考える、一般参加自由の会です。
多くの方のご参加をお待ちいたします。
2015年7月4日(土)
◆シンポジウム
13:30〜(13時開場) 会費1500円
東京都千代田区神田神保町1−17東京堂書店6F
出演 :福間健二、瀬尾育生、水島英己
倉田比羽子、井坂洋子、添田馨
◆出版記念会
17:15〜(17時開場) 会費7000円
東京都千代田区神田神保町1−1三省堂書店B1
■お問合・お申込
(クリックすると、大きな画面でご覧いただけます)
◆新井豊美さんの遺稿評論集(いずれも思潮社刊)
『「ゲニウスの地図」への旅』
初期の吉本隆明から最期の菅谷規矩雄論まで。
「女性誌」論にとどまらぬ、詩論の全体像。
新井さんの《「遅れた返信」》である『「ゲニウスの地図」への旅』は、
菅谷の往信「戦後詩の帰結」がみずから顕わにしている、
この詩的論理の難路をどう見ているのか、そこがわたしの関心の
赴くところでした。
――北川透
『歩くための地誌』
わたしは誰なのか。どこから来たのか。どこへ行くのか。
歩き、書くことによって自らのルーツを辿る。
新井さんは対象世界に歴史的視点で存在主体に問いかける
核心につきすすむことを目指していった、そこに新井さんの
宿命的な倫理としての特性をみる。
――倉田比羽子
ねこ好きの方におすすめ 🐾
もちろん、どなたでも楽しめると思います。。。
もう始まっています。8月27日までですよ♪
個人的には、古賀繭さんの作品にとくに注目だニャー
会場はこちら→ TODAYS GALLERY STUDIO
シアターΧ提携公演 2014
豊島重之+モレキュラーシアター
『nino-mai i にのまい』公演
四枚の写真からもがきだす 余熱さめやらぬ灰の出航(一場)
散り散りの灰でできた無声のプライマー=雷管(二場)
脆くも壊れやすい白昼のリュシオールたち(三場)
林立する蚊柱の気違いじみたアルス・ノトーリア(四場)
作・演出・美術・構成 : 豊島重之
断章引用:『種差の世紀』 豊島重之
『イメージ、それでもなお』 (橋本一径 訳)
ジョルジュ・ディディ=ユベルマン
ほか
Voice 出演:大久保一恵・高沢利栄
出演 :中野真李・田島千征音楽:根本忍
照明:間垣隆
舞台:荒谷勝彦
映像記録:宮内昌慶
光面操作:豊島章伍
制作:戸田昌征
ほか
2014年2月15日(土) ロビー開場18時30分/開演19時〜(ソワレ)
2月16日(日) ロビー開場13時30分/開演14時〜(マチネ)
アフタートーク聴き手:豊島重之
◇《二の舞〜揮発者たちの世紀へ》
+『種差 四十四連図』(北島敬三/写真・豊島重之/文)刊行記念
講師:鵜飼哲
2月15日(土)20時〜21時10分
◇《二の舞〜異貌のアルス・ノトーリア》
講師:八角聡仁
2月16日(日)15時〜16時10分
劇場 : シアターΧ
JR総武線両国駅西口徒歩3分/大江戸線両国駅A4・A5出口徒歩8分
入場料:各日均一(トーク聴講込み)2000円(学生優待・要事前予約)
予約・問 : シアターΧ
9月26日は、福井桂子さんのご命日です。
ひと月前、伊藤二子さんの個展を見に八戸へ。
その時、陸奥白浜駅から鮫駅まで、海岸線を歩きました。
「風浚(かぜさらい)」という地名があるなら
「姥懐(うばふところ)」という地名もあることを
伊藤二子さんに以前教えていただきました。
八戸には、同じ地名の場所がいくつかあることが多いのですが、
姥懐も市川町と鮫町に見つかりました。
今回は、鮫町の姥懐へ行ってみました。
また「姥懐」という地名は、全国にたくさんあるようです。
その地名に込められた意味を思いながら歩いた
八戸の風景は、またあらためて。
彼の地を遥かにはなれ
わたしは いまは
茂く夾竹桃の植えてある
小径のそばの
小さい家に住んでいます
福井桂子さんの詩集『浦へ』から
「ホロキ長根のかすかな住人」という詩のこの部分を、
今年は自分のことのように読みながら。
夜があけた瞬間の油壺です。
静かな朝の海です。
日が昇りました。
三崎の町へ。
この日は、とんびが多かった。
海南神社にやってきました。
お宮参りの赤ちゃんを抱いたご家族や、地元の人が次々訪れて、
愛されている神社なのですね。
龍に見えますか。
龍神様をまつるお社の上にかかる公孫樹。
古くて味わい深いお店の看板。
この日は、海も静かでした。
日が傾いてきたので、急に歩いている人もいなくなります。
おかあさんと男の子。
古くて懐かしい商店街。
写真はだいぶ前に撮ったもの。
お店の人に「はらちゃん?」と尋ねられる。
テレビが無いわたしは、「?」
ちょうど「泣くな、はらちゃん」というテレビドラマを
放映していた時だったようです。
城ヶ島へ。
富士山の影に、太陽が沈みます。
◆
スーハ!10号、完成間近です。
今号は、特集「新井豊美、その不在を抱き寄せて」。
ゲストに平岡敏夫さん、北川透さん、藤井一乃さん、尾関忍さん。
ご家族へのインタビュー、圧倒的な書誌一覧も掲載。
ご期待ください。
アイコのおひたし。
おかかと味噌を混ぜたマヨネーズで。
連休明けに岩手の方から「昨日もどってきたばっかりだから」と山菜をいただく。
自転車でふらりとやってきて、「食べる?」。
山菜もうれしかったけれど、田舎の近所づきあいのような親しさで、
そういうさりげなさがとてもうれしい。
ご実家は、津波の被害にあわれて、東京で働いています。
長いおつきあいではないのだけれど、東北人どうしで情が通い合う
と思っています。
アイコのねこまんま。
アイコを刻んで、おかかと醤油をまぶして、ご飯に混ぜます。
ほんとにねこまんまなのですが、美味しいんですよ。
たらの芽もいただきました。
たらの芽は、やっぱり天ぷらですよね。
片栗粉を入れた袋でふってまぶしてから、水でといた小麦粉にくぐらせました。
たらの芽をちくわに詰めたものも、揚げています。
ふだん揚げ物をほとんどしないのですが、せっかくの親切を新鮮なうちに
と久しぶりの天ぷらです。
11センチのストウブがあるのです。
胡麻油を浅めにはって、火力を弱めずに揚げたら、
少ない油でもからりと揚がりました。
◆
時々本を貸してくださるお客さんが「これ、お読みになるかしら?」と
中勘助の『銀の匙』(角川文庫)を貸してくださる。
主人公を愛情深く育ててくれた伯母さんが、涙もろくて優しくて、
読んでいるこちらもつられて泣いてしまいます。
夏目漱石が読んで絶賛したというのもわかります。
何気なく解説を見たら、なんと平岡敏夫さんでした。
長く抱えていた原稿を、ようやく仕上げました。
スーハ!10号がもうじき完成します。
今号は、新井豊美さんの特集号です。
平岡敏夫さんにもお世話になりました。
ありがとうございました。
詳細はまた。
ようやく給湯器を交換してもらい、熱いお湯が出るようになりました。
熱すぎるほどのお湯が出るなんて、ありがたいです。
ふつうと思っていたことが、いかに十分すぎることだったか。
おかげで、沸かし残しのお湯を捨てられなくなりました。
熱いうちに洗い物を……というように、使い回すことを考えるくせがつきました。
明かりを消して、キャンドルをつけて、ゆっくり湯船に浸かりました。
計画停電であわてて買って、何度も使わなかったキャンドルです。
そういえば、給湯器が新しくなったら、最近また片側しか
つかなくなっていたガスコンロも直りました。
なぜ?
同じ原因だったのでしょうか。
自宅のお風呂に入れるようになったけれど、銭湯のお湯が恋しい。
銭湯は軟水で、お風呂上がりに顔が火照っても、うるおったままなのです。
自宅の水で洗うと、やはり顔が痛くなります。
日本の水の硬度は、地域によって全然違うのですね。
硬度の低い秋田県生まれのわたしには、硬度の高い東京の水があわないわけです。
ほんとに東京の水があわなかったんだなあと、しみじみ。
最近いつも持ち歩いていた、小さなボトルのシャンプーと、
ちょうどお友達からもらった肌に優しいボディーソープを
バッグにいれておいて、また銭湯に行こうと思います。
数週間前に、2度目のバリカンでセルフカット。
今回はすこし長めにと思いながら、いきなり前髪が限界の短さに(笑)。
まあ伸びるから平気平気。
知人の美容師さんに「すごい!自分で切ったの?!よくやったね」
と絶賛される。
もちろん、上手にできたという意味ではなく、無謀な挑戦という意味です。
最近、ヘアワックスも手作り。
だんだん天然になってきました。
◆
前置きが長過ぎましたが、粉末の高野豆腐を入れたクレープです。
粉末の高野豆腐に牛乳を入れて、しばらくおきます。
思ったよりも、さらさらでした。
卵をといてあわせて、塩とにがりを少々。
小麦粉なしです。
オイルをひいたフライパンで焼きますが、破けにくいような気がします。
焼き色が、一枚一枚ちがいますね(笑)
添えたのは、ゼネラルレクラークのバターソテーです。
バターで炒めただけ、何も加えなくても、甘みもじゅうぶんですよ。
櫛形に切ったのをクレープの間にはさんで、大きめの角切りを
ソースのようにしていますが、果肉が柔らかいので、
櫛形に切っておけばターナーで簡単に切ることができます。
ちょっと薄焼き卵のようですが、美味しくできました。
散らしたのは、ローズマリーの花です。
果物は、生で食べるのが一番ですが、バターソテーもあいます。
リンゴなどでもやりますが、ゼネラルレクラークの風味は
炒めても失われず、バターの香りが混じるとさらに
甘く魅惑的な香りになります。
◆
ブログは、引っ越し先を決めました。
実際に移行するのは、まだ先になりそうです。
ブログどころじゃないんですけどね。
期限も迫っているので、あわてて引っ越しということになると思います。
それについてはまた、来月くらいにはお知らせできると思います。
(追記)
*日本語によるサービスがなくなり、管理画面が英語になるものの、
個人での契約は継続できるみたいです。しばらくは、ここで様子を
見るかもしれません。
今年も、牡蠣のオイル漬けを作りました。
牡蠣をフライパンでから煎りして水分を飛ばしてから、味をつけます。
今回は、生姜の繊切り、紹興酒と醤油とオイスターソースを入れ、
煮詰めてからめています。
味付けはお好みで。
粗熱がとれたら瓶などにつめ、オイルをかぶるくらい入れてから、
冷蔵庫で保存します。
オイルは、わたしはオリーブオイルを使うのですが、
サラダ油だと冷蔵庫に入れても固まらないと思います。
オイルは、パンにつけたり、ほかの料理に使ったりできますよ。
オリーブオイルだと固まってしまうのですが、
最近は、フライパンに取り出し、その中でオイルをとかしています。
その後、それを炒め物に使えば、オイルを無駄なく使えるでしょう。
『dancyu』に「牡蠣のフリッタータ」というレシピが載っていたので、
それを作ろうと思ったのですが、牡蠣を全部オイル漬けに使ってしまい、
かに玉ならぬ牡蠣玉風のものになりました。
生の牡蠣がないので、オイル漬けにした牡蠣とブロッコリーを
刻んで卵に入れ、ニラと小さめの角切りにした豆腐も入れています。
といた卵は、出汁少々としろたまりで味付け。
フライパンに流し入れ、ふんわりかき混ぜたら蓋をして両面焼きます。
牡蠣のオイル漬けを作った時に鍋はだにこびりついた旨味を、
紹興酒とお湯で溶かして、醤油とオイスターソースと酢を入れて
少し煮詰め、水溶き片栗粉を入れて作ったあんをかけました。
牡蠣を炒めた鍋で作ったものを、もう一品。
白滝の炒め物。
これは、お肉も入れていますが、白滝を炒めて
酒と醤油と胡椒で味付けしただけです。
こんにゃく、とくに白滝が大好きでよく作ります。
ご飯にのせても混ぜても美味しいです。
◆
給湯器は、明日ようやく交換してもらえる予定です。
気温が低いとお湯の温度も低いままで、やかんで沸かした
お湯を用意しても濡れると寒い。
それで、電車で一駅、駅から歩ける距離にある銭湯を
ようやく見つけました。
そこのお湯がよくて、出不精のわたしが毎日でも通いたいと思うほど。
お湯の温度も好みです。
電気風呂なるものも、初めて体験。
見知らぬ人に「お先に」と声をかけられたり、「おやすみなさい」と
すれちがったり、人情も感じられます。
軟水が肌にいいのですね。
「超」がつくほど過敏肌のわたしが、軟水だと肌の荒れも痛みも
おさまるのです。(かゆいのではなく、痛い)
もうどんなにいろんな化粧品を試しては捨てたことか……(泣)
そういえば、自宅の水があわないような気はしていたのですが、
ほんとうに水があわなかったのですね。
カルキ抜きのシャワーヘッドなどもつけているのですが。
やっと長年の肌のトラブルから解放されるかもしれません。
給湯器が壊れたことも、幸運に思えるほどです。
解決方法は見つかったけれど、さて毎日銭湯に通うか、
それとも軟水器なるものを買うか……。
銭湯の幸福感を知ってしまったら、自宅のお風呂には入れないくらい
ですが、顔は自宅でも洗うわけですし……。
銭湯にお嫁に…、いや住み込みたいくらいです(笑)。
銭湯はいいのですが、仕事が終わってから銭湯に向かうと、
帰宅がさらに遅くなってしまいます。
焼き鳥を焼いている前を通りかかったので、たまには買って帰ろう。
銭湯帰りに知らない町を歩いているという楽しさもあります。
気さくな焼鳥屋のおじさんと、立ち話。
おじさんの半生を聞きながら、洗ったばかりの髪は煙にいぶされ(笑)、
買った焼き鳥は冷えてゆくも、心はあたたかい。
40年間、睡眠時間は5時間で、座ることなく立ちっぱなしだったそう。
最近、足が痛むので、早く閉めるようになったとのこと。
それでもにこにこと孫の話をしながら、楽しそうに働いている。
町の人はなんて優しくてまじめなんだろう。
お体をたいせつにと言って帰ってくる。
こんな寒い時期に自宅のお風呂が使えず困ったけれど、
おかげでよい経験もできました。
人生そんなふうになっているのかもしれませんね。
◆
このブログの会社が変わるらしく、ビジネス向けの有料プランに
なるらしいのですが、それが個人には(わたしには)高額で、
ここで継続はできません。
やめても誰も困らないと思うので、どうしようかなと考えています。
なんとなく続いてきたものに、いろいろ変化が起こっているところ。
いっそ全部やめてしまおうかという出直し気分もふつふつ。
失って困るものって、ほんとうはそんなにないのかもしれません。
いちおう、ブログの移行も検討中ですが、技術的に期限まで
間に合うかどうか……?
いろいろ先の見えないことばかりですが、この「銀葉の舟」に
関しては、決まったらお知らせします。
(追記)
*日本語によるサービスがなくなり、管理画面が英語になるものの、
個人での契約は継続できるみたいです。しばらくは、ここで様子を
見るかもしれません。
9月26日は、福井桂子さんのご命日です。
亡くなられて、もう5年になるのですね。
今年は、三木卓さんの小説『K』(講談社)も刊行されました。
*
「スーハ!」9号の、野木京子さんの書評
「ここにいてここにいない人の遠さ 三木卓『K』」より。
『K』が感動的だったのは、人が詩を書く、書き続ける
秘密のようなものを教えてくれたことにもあると思った。
たいてい、仕事や日常に追われて、二重露出的人生を
生き続けることは難しい。それでも、引き裂かれた世界に
生きようとしなければ、詩を書き続けることはできないように
思う。詩を書き続けるために、二重露出的に視るまなざしを、
福井桂子は最後まで手離さなかったのだ。
*
詩人福井桂子さんの美しい姿勢が、思い出されます。
これからも、福井桂子さんの詩を読み続けたいと思います。
4月14日は、古賀忠昭さんの御命日でした。
古賀さん、ごめんなさい。わたしは新しいスケジュール表に写すとき、
うっかり一週間まちがえてしまいました。
昨年の今頃は、混乱と不安の最中でした。
そのような中で古賀さんの詩を読み返しました。
思えば、この国の人々は、度重なる災害や飢饉に苦しみながらも、
それを乗り越えてきたのだと、あらためて作品のなかに真実を見ました。
わたしたちは、忍耐強く起ちあがってきた人々の流れを汲んで
ここに在るのだとも言えるでしょう。
ここしばらく、桜の散る頃に逝った人たちを思っていました。
古賀忠昭さんもそうでした。
ご家族のお話を伺い、写真を何度も眺めてきたせいか、
いつでも穏やかな笑顔の古賀さんが浮かびます。
その激しい作風とは逆に、どなたもが優しい方だったと話します。
刊行されたばかりの本
『丸山豊の声――輝く泥土の国から』(松原新一 編著/弦書房)
巻頭の山本源太さんの文章からも、うかがえます。
山本源太さんの優しさにも、胸打たれる文章です。
松原新一さんの編集による、丸山豊さんへのインタビューと、
丸山豊さんに関するいくつもの鼎談を集めた内容になっていますが、
古賀忠昭さん、山本源太さん、そして昨年亡くなられた
鍋島幹夫さんの言葉も載っています。
それらの言葉に向きあうことによって、己の書く姿勢も映し出されるような気がします。
ぜひ、お手に取ってお読みください。
山本源太さんの文章から、
闘病中の古賀忠昭さんが、八木重吉の詩の下に書きこんでいたという詩。
載せること、おゆるしください。
八木重吉の詩と対で読むといいのですが。
詳しくは、『丸山豊の声――輝く泥土の国から』でお読みくださいね。
春
ひかりが そこいらの草の芽を
よいしょ
どっこいしょ
と
天に向かって
いっしょうけんめいひっぱっています
矢野静明展、始まっています。
座間のギャラリーアニータで。
2012年1月26日(木)~2月7日(火)
11:00~18:00 水曜休館
◆
北海道からは、『SNOWSCAPE MOERE7』という
イベントのお知らせが。
2012年2月3日~5日、
札幌市のモエレ沼公園で、
倉石志乃さんのテキストにあわせて
露口啓二さんの写真のスライドショーがある予定です。
詳しくは、モエレ沼公園のHPをあわせてご覧ください。
『シモーヌ・ヴェイユ―詩をもつこと』が思潮社から刊行されました。
表紙は、少女時代のシモーヌ・ヴェイユの写真。
美しい特集号です。
責任編集は、今村純子さん。
近著に『シモーヌ・ヴェイユの詩学』(慶應大学出版会)
などがあります。
辻井喬さんのインタビューや、吉田文憲さんなど多くの方々の
論考、対談、シンポジウムなどひろい視点から
シモーヌ・ヴェイユを知ることができます。
◆
最近またシモーヌ・ヴェイユを読み返してみて、
これまで以上に、はっとする箇所に多く出あうようになりました。
ヴェイユの言う「根こぎ」ということが、震災後のわたしたちに重なり、
実感として読めるようになったということかもしれません。
とくに福島の人々のちりぢりになった悲しみを、
ヴェイユの言葉のなかに見出しながら、
いまこの時代を生きる手掛かりもまた
ひろいだしているところです。
予約していた『群像』2012年2月号が届いて、
何気なく手にとった瞬間、不思議なことに自然と148ページがひらき、
「スーハ!」という言葉が目に飛び込んできたのでした。
え……?
偶然とは思えないような出来事に胸がどきどき、
三木卓さんの「K」という小説でした。
詩人福井桂子さんとの日々を書いた小説です。
ご家族だけに安心して見せた姿でもあったのでしょう。
自分自身とも重ねて考えながら、
たぶんそのようにしか生きることができなかったであろう人の
思いがけないつよさと、それをうけとめたひろさ、
書くことと生きることが密接するような日々の出来事に、
不思議な感慨がありました。
福井桂子さんの詩から、さらにふくらみと温もりを
感じられるようになりました。
闘病中にもかかわらずインタビューに応じてくださった日、
福井桂子さんのゆたかな記憶力と整然とした言葉に驚かされたことが
今でも鮮やかに思い出されます。
昨年9月の御命日のころには、私事がかさなり、
毎年行っていたお墓参りに行けませんでしたが、
春の兆しを感じるころに、また浄智寺へ行きたいと思っています。
草の実で、リースをつくりました。
今年、多くの草たちは、赤い実も青い実もつけることなく、
刈り取られてしまったことでしょう。
子どもたちが花に顔をよせることも、
その実を摘むこともゆるされずに、
葉を赤く燃やすことも、種をこぼすこともできずに、
かなしいつみをかぶって
刈り取られてしまったことでしょう。
◆
職場にみえた86歳の女性の言葉。
「これからは、ちゃんと声に出して言うことにします。
嫌なものは嫌だと。原発なんてやめてほしいと。
わたしもデモに参加したいわ。できるかしら」
◆
落合恵子さんのブログで紹介されていた動画↓
ぜひ聴いてください。
6分53秒ほど、明快で、深く強く胸を打つ言葉です。
◆
友人がおしえてくれた、この歌も。
◆
シモーヌ・ヴェイユの言葉を。
人間の立てる国は、その完全さの程度に応じて
それぞれ多少の差はあっても、そこに住む人々の生活を、
詩で包むものである。その国はみな、世界という国の像であり、
反映である。なお、その国が国家という形をとり、それぞれが
故国(祖国)になりたいと熱望するようになれば、その姿は
ますます、形のくずれた、汚いものになってくる。しかしながら、
物質的にも、精神的にも、国を破壊したり、または、人間を国から
追い出して、社会の屑のような存在にまで突き落としたりするのは、
人間のたましいと宇宙との間にある詩と愛のつながりを、すっかり
断ち切ってしまうことになる。人間をむりやり、みにくさへの恐怖の
うちに深く沈めてしまうことになる。まずこれ以上にはなはだしい
罪は、あるまい。わたしたちはだれもが、ほとんど数えきれない
ほどと言ってよいたくさんなこういう罪に、共犯として加担している
のである。わたしたちはみな、理解しうる心さえあるならば、この
ことを血の涙を流して嘆かねばならないはずである。
(シモーヌ・ヴェイユ『神を待ちのぞむ』田辺保・杉山毅/訳、勁草書房刊)
すこし前まで、「署名する」ということが、とてもこわいことの一つでした。
自分の住所を明かすのが、こわくてたまらなかったのです。
わたしには、こわいものがたくさんあって、
自宅の玄関チャイム、家の電話が鳴る音、などなど……。
宅急便を受けとるのも、最近ようやく平気になりました。
こわくない人には、全くわからないことかもしれませんが。
わたしも、カエルがこわいとか、林檎をかじる音がこわいとか、
ふーん、よくわからないなあ、ということがありますから、
人それぞれですね。
「嫌い」というのは、わりとわかるのですが、
「こわい」というのはまた別のものですから。
さて、そのこわかったものの一つの「署名」ですが、
これはいきなり人から突きつけられるという感じでやってきて、
その度にしどろもどろになりながら、断れるものは断って、
断り切れなかったものは、あとあとまで、恐怖感をひきずっていました。
だいたい署名というのは、義理でするものではありません。
けれども、大震災の後、わたしはいくつかの署名をすすんでしました。
原発に関すること、人権に関すること。
自分で考え、判断し、行動するということは、責任のとれることで、
署名恐怖症もほぼ克服しつつあるように思います。
もしかしたら、同じような理由で、署名したくない人がいるかもしれませんね。
でも、自分の氏名や住所を書くということは、
本来それだけの重みを持っているということではないでしょうか。
ひとりひとりの名前の重みが、世の中の天秤を動かすかもしれません。
それは、今この状況にあって、希望の持てることのように思います。
自分ひとりの重さはささやかであっても、
自分の判断で、自分が正しいと思うことの錘となること。
わたしはたくさんの署名は集められませんから、
親しい者たち数名の署名でも、声をかけてみようと思います。
◆原発に関しては、以下のサイトを紹介します。
オンラインでの署名もできます。
1000万人署名用紙をクリックすると、
自筆署名の署名用紙を印刷することもできます。
また、署名に関する詳しい説明と、送り先も書いてあります。
最終締め切りは、2012年2月28日です。
オンライン署名も、自筆の署名も、その効力に違いはありませんが、
オンライン署名の場合は、提出先が内閣総理大臣宛に限られます。
衆参両院(国会)宛ての署名は、自筆の原本を提出する必要があるそうです。
◆また、原発をどうするか、国民投票によって決めようという活動もあります。
これに関しては、
『原発をどうするか、みんなで決める 国民投票へ向けて』(岩波ブックレット)
という本を読むとよくわかります。
◆国民投票の運動と並行して、東京都・大阪市での
「原発」住民投票を実現することを展開しています。
こちらはネット署名とは違い、地方自治法に基づく法定の署名です。
ですから、受任者による、自筆の署名集めになります。
12月10日から、直接請求のための署名集めが始まります。
住民投票に関しては、今井一さんのこちらを読んでみてください。
福島の子供たちを救おうと動き出した、福島の女性たちがいます。
この福島の女性たちの行動に賛同するAVAAZ.orgは、ネット上で署名運動を展開しています。
以下、サイトからのメッセージのコピーです。
今現在、福島市とその付近では、数千人の地元住民が、
高レベル汚染地区に閉じ込められています。
黒い雨が空から降り、地元の農作物は汚染され、
津波によって住む場所をなくした家族やその子供達は避難することもできません。
それでも政府は彼らを助けることを拒んでいます。
そこで福島の女性たちが動きだしました。
日本中から数百人のサポーターが集まり
福島の子供たちが避難するための支援を野田総理大臣に求めるため、
東京の経済産業省前に座り込み、訴えています。
私たちも彼女達と供に訴えることができます。
これは事実上、彼らの命をかけた行動です。
放射能汚染の真只中にいる子供達には、時間がありません。
プレッシャーを感じ始め、日本政府は24時間後に緊急会議を開催する予定です。
福島の母と子供たちをサポートしよう!
下記の緊急署名嘆願書に署名の上、このEメールを拡散してください。
嘆願書は、会議前に、首相官邸に直接届けます。
請願内容は
内閣総理大臣 野田佳彦 殿
わたしたち憂慮する市民は、日本政府が、
未だに高放射能汚染地区に閉じ込められている
福島市の子ども達を守るため、
早急に行動をとるよう強く要請します。
特に、渡利地区の住民に避難の権利があることを認識し、
安全地域に移住したいと望む人々に緊急の支援を提供するよう求めます。
子ども達、孫達の未来がかかっています。
もはや時間はありません。
こちらから署名できます。
福島の子供たちを救うために (AVAAZ.org)
http://www.avaaz.org/jp/save_the_fukushima_children/?cl=1375107813&v=10936
福島の女性たちの座り込みの様子は、以下の記事から読むことができます。
女たちの脱原発 座り込み集会レポ
http://mainichi.jp/select/weathernews/news/20111102dde012040025000c.html
AVAAZ.orgについてはこちら AVAAZ.org
青森県八戸市生まれの詩人、
福井桂子さんは、生涯、幼時を過ごした土地と、
慈しみ深く育ててくれた人々を思い続けました。
くり返しくり返し作品の中で、同じ地上にありながら
遠く隔てられることになったその土地を書きました。
かつて往還したその道を、時に行く先の見えない吹雪に阻まれながらも、
ちいさかった自身の手をひくように、詩のなかで歩き続けたのでした。
悲しみも淋しさも切なさも愛しさも、もう一人の幼い自分と、
共に分けあうようでした。
わたしたちは日々を生きてゆくために、時間さえも自在に遡りながら、
それぞれの場所を瑞々しい記憶と共に思い描くのかもしれません。
けれども今年は、つらなる大地の上に降り落ちた悲しみをも
思わずにはいられません。
くやしさにくちびるをかみながらも、かけがえのない場所を思う切実さと強さが、
あらたな道をひらいてゆくちからとなることを願います。
わたしたちの美しい場所が、失われませんように。
祈るような思いで、いまひろがるわたしたちの故郷のうえに、
今夜は福井桂子さんの詩の世界を重ねてみたいと思います。
*
どうか、どの人も、これからの季節を、あたたかく過ごせますように。
二階の廊下も床も木材で
木枠のある古風な
夏の窓を
すこし首をかしげてのぞきこむと
子どものころの
わたしの家の夏の庭がみえた
光りといっぱいの草の花と
つき山とほのぐらい楓の木の茂みと
死んだ弟がよく本を読んでいた小廊下と…
ふしぎさにもっとみたくて
再び頭を巡らすと
透きとおった夏の窓は
あっさりと消えてしまい
わたしは厚い雨雲に包まれてしまった
....................................................................
___________________________________________________
(福井桂子詩集『風攫いと月』所収「沼の方の音道から聞こえてくる」より)
億年の記憶をうけて
波動する
いのちの波を
象となす
(伊藤二子さんの言葉、伊藤二子展 案内葉書より)
八戸で、伊藤二子展、はじまりましたよ。
ITO2KO2011
日時 2011.9.16(金)―19(月) 10:00―18:00(最終日は16:00まで)
会場 八戸ポータルミュージアム「はっち」シアター1
★青森県立美術館で行われた滞在制作の成果である大作も展示。
伊藤さんとの再会を楽しみにしていたのですが、
今回伺えずに残念です。
みなさん、どうぞお出かけくださいね。
青森県立美術館で、
『伊藤二子と八戸――見よ、この絵カき』展が開催中です。
会期は2011年6月12日(日)まで。
くわしくは、青森県立美術館のHPでごらんください。
青森県立美術館へは、新青森駅から、車で10分くらい、
青森駅から車で20分くらいです。
青森駅からバスが出ています。
乗り場は「6番」でした。
すぐ近くに、三内丸山遺跡があります。
真っ白な美術館です。
これ、なんの写真かわかりませんね(笑)。
5月3日(火)は、アーティストトークがありました。
急に出発を決めたので、お知らせが間に合いませんでしたが、
満席の会場で、伊藤二子さんのお話にみな聴き入りました。
伊藤二子さんの創作に対する凛としておおらかな姿勢は、
まさに作品から感じるものでした。
今回の展示を企画した青森県立美術館の高橋しげみさんと、
画家の伊藤二子さんです。
許可をいただきましたので、トークのお二人の写真も。
画家の伊藤二子さんです。
5月8日まで、公開制作も行っています。(10時~15時)
真っ白な壁、高い天井を活かして、
作品が自由に飛び交うような清々しさを感じる展示。
伊藤二子さん、作品も、お人柄も大好きです。
つづきます。
◆モレキュラーシアター東京公演『のりしろ』のお知らせです。
2011年1月15日(土)18:00開演/ 16日(日)15:00開演
会場:杉並区立杉並芸術会館「座・高円寺 1」
料金:全席自由・2000円
——これでおしまいだ と一人の男がいった
いやおしまいではない と別の一人がいった
おしまいなんておれたちにはないんだ おれたちは
この土のなかに敗北を埋めただけだ(黒田喜夫) ——
上演作品は、詩人・黒田喜夫の詩篇・断章に基づく新作『のりしろ nori-shiro』。
今回は、アントナン・アルトー研究家としても知られる舞踊家及川廣信氏が音声出演されることになりました。
そして、ポストトーク。
講師には、詩人吉増剛造氏をはじめ、鵜飼哲氏、前嵩西一馬氏をお招きし、
1月15日 上演終了後の19:20より同会場で行われます。
*画像をクリックしていただくと、大きな画面でひらきます。
◆公演の予約は、molecular :http://sites.google.com/site/moleculartheatre/ にて。
同公演は、「TAGTAS/PROJECT 2011—演劇と虐殺—」との共同主催として企画されたもので、
1月14日19時と16日18時半の二回「TAGTAS/FORUM 円卓会議」も開催されます。
両日ともTAGTASの一員として豊島重之氏も参席します。
◆日にちが迫っていますので、ご予約はお早めに。
◆スーハ!同人谷合吉重さんの『飢餓の木2010』の書評が
モレキュラーのサイトでアップされています。
どうぞお読みくださいね。
http://sites.google.com/site/moleculartheatre/critic/taniai
+
+++
+
書かなければならないものが書けていなくて、お知らせも遅くなりました。
黒田喜夫の『一人の彼方へ』をざっと読み返す。
今になって、豊島重之さんの『二歩と二風のサーガ』がほどけてくる。
開いた本を扉に舞台や言葉がよみがえり、
後になって理解できるという感動を度々体験できるのも
豊島さんとモレキュラーならでは。
どうぞみなさん、おでかけください。
9月26日は、福井桂子さんの御命日です。
十一月に
菫色の葉が落ちてきて
わたしは
滝…沢の辺りを歩いていた
魂も凍みる滝…沢の辺り
囚われの《べっこう蜂》のブローチで止めた
カヤツリ草の肩かけをまとい
朝に夜に
くぐもり声で啼く
無しつけな鳥のことをわすれたかった
どうしてか見知っている
石切り場の童子に
会いにゆこうとしているのかもしれなかった
セピヤ色のヴェールのかかった石堂あたり…
(詩集『荒屋敷』より「十一月に菫色の葉が落ちてきて」の部分を)
荒屋敷からやってきた
わたしたちだった
粉雪の吹きつけるころ
いつか
滝沢村を過ぎて
渋民…沼宮内を過ぎて
長い長い橋を渡って
サクラ林のある
あなたの荒屋敷に
必ず逢いにまいります
(詩集『荒屋敷』より「荒屋敷からやってきた」の部分を)
女童子は
淋代の浜辺で
漁網のつくろいをするやら
月の満ち欠けをしらべるやら
息もつまるほどに
魂の海図をみつめるやら
~
荒布のからまる漁網よりもこんがらかった
沼の水草のような月日が
待っているわけでもなかろうに
…川辺にしゃがみこみ
一人で食事とる巡礼者に
深くふかくおじぎをするのです
黄菊料理のひと皿をそっとさしだすのです
(詩集『荒屋敷』より「黄菊料理」の部分を)
岩山を走る風の音…きしるわだちの音がして、死ん
だ童子たちの行進。わだちをきしらせ、きしらせやっ
てくる雪風の童子。灰を俥にのせ。ひどい黒雲、
ひどい魂の嵐。十の地獄より切なく、十の地獄の街
道をかけてきたあの売市の農夫さえ、草の小径で小
手をかざす。雪風の子はころされたのだとたれに語
る。そう、だから、あの青ざめた子は幽霊の子なのだと。
(詩集『荒屋敷』より「粉雪の家族」の部分を)
今日は、八戸の地名が出てくる詩を並べてみました。
第6詩集『荒屋敷』には、とくに地名の入った詩が多いように思います。
「荒屋敷」も八戸市郊外の地名です。
探しているうちに、いくつもの作品を書き写してしまいました。
荒屋敷、石堂、売市、淋代、
あらやしき、いしどう、うるいち、さびしろ。
淋代って、ほんとになんだかさびしい。
今宵は、月もきれいです。
ICANOF 第10企画展 『飢餓の國・飢餓村・字(あざ)飢餓の木 展』 へ行ってきました。
18日の朗読、じつはうまく声が出ずに、思ったようにできなかったのです。
応援し励ましていただき、せっかくいただいた機会だったのに。
聴いてくださった皆さん、ありがとうございました。
はらはらするような朗読でお聞き苦しかったかもしれません。
いつものわたしでしたら落ち込んでいるところ、
八戸の皆さんとICANOFの皆さんとゲストの方々が優しかったので、
元気に帰ってくることができました。
八戸には人を元気にする力があると感じています。
それから及川廣信さんのダンス公演
『村への遊撃 ――黒田喜夫に』に感動しました。
及川さんという方のまわりには別の空気があるよう、
それがこちらをもふるわせるのでした。
及川さんの図録の文章にあるように、わたしも
黒田喜夫を読みながら、シモーヌ・ヴェイユを思ったのでした。
そのことをいつか整理できたらと思います。
さて、ICANOF 第10企画展 『飢餓の國・飢餓村・字(あざ)飢餓の木 展』 は
26日まで開催されています。
最終日には、こんなプログラムも準備されています。
9月26日(日)
13:30 ICANOF代表米内安芸による全館めぐりworkshop。
企画展を振り返りながらの意見交換の場でもあります。
参加自由、無料(最終日につき、15時半閉館予定)
もう一度、八戸に行ってわたしも参加したいくらいです。
会場の様子をご案内します。
八戸市美術館に着きました。
入りますよ。
展示の様子をほんのちょっとだけご案内。
1階と3階には、豊島弘尚さんの絵画が展示されています。
八戸の「飢餓」を描いた新作・近作100号~200号30点ほか、
黒田喜夫を切り口にした「書作品」も展示。
豊島弘尚さんの巨きく拡がる画面を見ていると、
逆に微細なものとなって脳内に迷いこむような感覚になります。
拡がりながら内部へ内部へと向かうような不思議な感じ。
(小さくなって体内に入るって、ありましたね)
ひろびろとした意識と、画家が完成させ完結している世界。
それを見るために、後ずさりし離れなければならず、
また近寄らなければなりません。
絵の前で、引いたり寄せたりする波の動きが繰り返されます。
大きさと距離の感覚もまた逆転し、めまいするようです。
独自の黒。
日本の黒と思いながら見ていましたが、
次第にそれは八戸の烏(カラス)の黒なのだと気づかされました。
濡れた黒と光を吸い込む粒子と、
巨大な八戸の烏と見合うことになりました。
個人的には「黒い月の光粒子」の前で長く立ち止まりました。
迫力ある絵は、どうぞ会場でご覧下さい。
2階には、吉増剛造さんの展示が。
「飢餓展」では安藤昌益を切り口に八戸を撮影した
新作映像「gozoCiné」をメインに、
「書のオブジェ」「銅板作品」など新作・近作も展示。
0.6ミリの厚さの銅板作品、手書き作品の展示、
新作gozoCinéなど、圧倒される作品ばかりです。
2階奥の部屋で、これまでの映像作品も見ることができます。
そして3階奥の部屋では、
倉石信乃さん + 須山悠里さんの新作映像『HOUSE-WOMAN』が
上映されています。
ICANOF「飢餓の國・飢餓村・字(あざ)飢餓の木(略称KwiGua)展」 の
図録=写真集が以文社から発売されます。
ご購入はこちらから。
表紙に驚くと思います。
内容は、お手に取ってご覧くださいね。
*****
緊張したり失敗したりうれしかったり感動したり、
それとおいしいものを食べたり飲んだり。
たくさんのよい人に会えたり。
八戸にいる間は生きている実感がありました。
お会いできた皆さんに感謝しています。
ICANOFの皆さん、八戸の皆さん、ありがとうございました。
それからICANOFはなんと10周年。
ほんとうにおめでとうございます。
これからも見にいきますから、ぜひ続けてください。
わたしの内耳にはシタシタと水辺を往く遠い足音が響いている。
水深を通した海光のさんざめきに阻まれてその姿は杳として
みえないのに、その足のウラだけは、なぜか鮮明に目にみえるから
不思議である。ユメを浸した喫水面の真裏からユメの触手を伸ばせば、
いまにもその足ウラに届きそうなくらいなのだ。
(『不審船 二歩と二風のサーガ』/豊島重之著 「アートポリティクス」所収 より)
冒頭の文章の著者である豊島重之さんは
2009年に青森県立美術館で開催された
『小島一郎―北を撮る―展』の一部を企画しました。
『不審船 二歩と二風のサーガ』にはその資料が散りばめられ、
それを基点に北の歴史、地理、文化についての考察が繰り広げられます。
その100枚にもわたる長い論考の中に、小島一郎の貴重な資料はもちろんのこと、
アイヌ語やその地名が出てくるのも興味深く読めます。
◇
アイヌたちが畏れと歓びをこめて呼び交わしていた、 先行する地名のオンの閃光的な皮下層と、 土地を閉めだし地名まで奪った後発の植民者によって、 当て字された漢字表記の倒錯的な表皮層。 響きあう「息」としての書記不能の地名と、 版図という法に登記されて「息を欠いた」表音不能の地名。 ◇ これを読むと、現代のわたしたちが馴染んだ地名を失うことによって、 同時に何を失ったかということにも気づかされるのではないでしょうか。 盛り沢山でとてもおもしろい論考なのです。 ただ増殖し繁茂する豊島さんのニューロン、シナプスに絡まって、 それに対する知識と切れを持っていないわたしは、 しばしば櫂を突き立てたまま、たよりない小舟の上で
淀んだ流れに映る凡庸な自分の顔を眺めることになりました。
つぎつぎと繰り出される資料と考察に驚きながらも、
小島一郎展を見に行けなかったことが残念でなりません。
今なぜそれを思い出しているかというと、読み終えた時に、
自分の中に流れる水を感じたからでした。
人はそれぞれの水源からの距離をはかり暮らしているのではないかということ、
見えない波動を感じながら生き、それが時に交差しふれあい、
奥底にあるものを目覚めさせるのではないかということです。
今回縁があって八戸市美術館で開催されるICANOF展に行きますが、
それがなくても八戸には引きつけられます。
東北生まれのわたしは、北の方に自らの水の源を感じるのかもしれません。
生地から離れるほどに、遡ってでも向かわせる力がはたらくように思います。
本来の水質に帰りたがっているのか、水脈によりつながっているのか、
わたしがさざ波立ち満ちたり引いたりする時、月も故郷の上にあるように思うのです。
これも水脈なのか、今回朗読する黒田喜夫が住んでいた場所の近くにいるというのも、
八戸らしい写真を探して、結局2007年に八戸で撮った写真を引っ張り出してきました。
道に迷いながら日が暮れて、川沿いに下ろうと歩いた新井田川です。
初めて八戸に行ったのは、2007年の5月。
7月の福井桂子さんのインタビューにそなえてカメラを買い、
その買ったばかりのカメラを持って出かけたのでした。
これは買って3日後くらいの写真ですね。
その年の夏にできたばかりのSOOHAを持って再訪し、
そして2009年の伊藤二子展へ。
今年のICANOFのKwiGua展が、4度目の八戸になります。
よし行かなきゃと思えてきました。
微力ながらもがんばります。
9月18日(土)14時15分くらいから、八戸で、詩の朗読をします。
詳しくは、ICANOF 第10企画展 『飢餓の國・飢餓村・字(あざ)飢餓の木 展』のサイトをご覧ください。
企画展示、ほかのゲストは素晴らしいです。
わたしは黒田喜夫、古賀忠昭、福井桂子の詩から一篇ずつ読みます。
今回、古賀忠昭さんの詩を読むにあたり、
娘さんの繭さんに快く協力していただきました。
ほんとにありがとうございました。
福井桂子さんの詩を八戸で朗読する機会をいただき、感謝しています。
もっといろいろなことを書きたかったのですが、今日はこのへんで。
それで今の心境はこんなかんじ。
ご想像ください。
(この写真、すごく好き)
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◇モレキュラーシアター「バレエ・ビオメハニカ」公演のお知らせです。
◇詳しくは、ICANOFのサイトでご覧下さい
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早稲田大学演劇博物館企画展示
『メイエルホリドの演劇と生涯 没後70年・復権55年』
連動企画:モレキュラーシアター
『バレエ・ビオメハニカ』公演
2010年4月24日(土)ソワレ 開場18:30/開演19:00 ※ 残席あり
2010年4月25日(日)追加公演 開場12:00/開演12:30 ※残席僅少
2010年4月25日(日)マチネ 開場14:30/開演15:00 ※ 満席
2010年4月25日(日)アフタートーク 16:00~18:00
会場:早稲田大学演劇映像実習室(戸山キャンパス36号館/東西線早稲田駅)
主催:早稲田大学演劇博物館 演劇映像学連携研究拠点
▼ワンステージ40名限定につき事前予約受付中
モレキュラー・ICANOF両サイト上の予約フォーマットもご利用ください。
◆4月25日(日)14時半開場の公演は満席のため、
12時開場の追加公演が決定したようです。
◆書きたいことがあったのですが、身のまわりがあわただしくて、
今日はお知らせのみでごめんなさい。
ただ、演劇にあまり詳しくないわたしが書くよりも、
モレキュラーシアターの公演をみていただくのがよいと思います。
スーハ!6号できあがりました。
今号は「私の街角」特集。
毎日通る街角、いまは遠く離れてしまった街角、好きな店のある街角
――人知れず愛する街角を誰もが持っている
それぞれの胸にある街角を集めたら、よい感じにまとまりました。
詳しくは、こちらよこしおんブログで。
ご購入ご希望の方は、
yokosionclub☆yahoo.co.jp (☆→@)
にメールをください。
今回、増ページのため定価800円となります。
職場の沈丁花が咲きました。
写真を撮っていると、ご近所の方がつぎつぎと
「こんにちは」「あら、写真とってるの」
と声をかけてくれます。
通りすがりの方も足をとめて話しかけてくれます。
「フィルムカメラは現像に出す場所がなくなったね」
としばしカメラの話を。
「香りも写るといいね」
ほんとに。
雨があがった昨日の朝は、とくに強く香っていました。
沈丁花って、花びらがかたそうなイメージですが、
近づいて見ると「クリオネ」みたい
まるで天使のようなやさしいかたちでしょう?
何度も外に出て、たくさん写真を撮ったので、またつづきを。
◇
スーハ!の「私の街角」特集を読んだ方が、
ご自分の街角について書いてくださったのを読むと、
なんだかしみじみします。
私たちは同じ空の下で、それぞれの街角を思っているのですね。
日本の街角っていいなあ、とあらためて思っています。
先週の日曜日(8日)、ひさしぶりに朗読会に出かけたので、
遅くなりましたが、めずらしくそんな話を。
画家の矢野静明さんのアトリエで
「ぷちっとサンサシオン」という
吉田文憲さんの朗読会がありました。
「ぷちっとサンサシオン」は普通の朗読会とはちょっと違い、
矢野静明さんとの対話が朗読の間にはさまれます。
今回は、客席にその詩や詩集を作った当時のことを知る方も多く、
朗読する吉田文憲さんを囲んでの会という雰囲気の
あたたかい朗読会でした。
興味深く参考になる話もたくさん聴くことができました。
会場には、村野美優さんがご自分で撮った写真で作った
吉田文憲さんの詩とのコラボレーションが展示してあり、
これはとても感動的でした。
机には、吉田文憲さんの自筆の詩「祈り」が置かれています。
壁に貼ったものを撮りながら、机の上も撮ろうと欲張ったために、
写真が妙な角度になってしまいごめんなさい。
それから色がかぶって暗く写っています。
村野さんが撮った写真には悲痛な声が写しだされ、真に迫るものがあり、同時に
そこで見上げた空や雲を写しているのが村野さんらしいと思いました。
実際の写真はもっと明るく青がきれいです。空の写真はとくに。
こういう空の清々しさからは、村野さんの詩も連想します。
村野さんからは、作品の写真をブログに載せること快諾していただきました。
ありがとうございます。
村野美優さんは、詩人としてだけではなく、ル・クレジオの訳者としてもご活躍ですね。
もうじき新しい詩集が出るそうですので、皆様ご注目を。
それから、展示してあった矢野静明さんの絵は、
吉田さんの詩の世界にあったものを選ばれたようで印象的でした。
思い返しても、贅沢な空間でのよい時間でした。
お知らせもいくつか。
*写真をクリックすると原稿の文字も読めると思います。
◇吉田文憲さんの詩論集『顕れる詩』の刊行記念イベントとして
鵜飼哲さんとのトークセッションが
11月21日(土)ジュンク堂書店池袋店4階カフェにて19時から あります。
定員40名ですので、電話(03-5956-6111)でお申し込みくださいね。
参加費1000円です。
詳しくはこちらで。
もうひとつお知らせを。
*クリックすると読めると思いますが、詳しくはmolecularサイトで見てください。
◇モレキュラーシアターの東京公演も間もなくです。
「ぷちっとサンサシオン」をひらいた画家の矢野静明さんの
瀧口修三論に基づく未発表論考をテキストに使った
『マウスト mouthed』
場所は御茶ノ水駅そばの劇団解体社アトリエ・フリースペースCANVAS
11月21日(土)~23日(月・祝)の3日間です。
公演後にアフタートークもあります。
11月21(土)開場20:00・『マウスト』開演20:15/トーク21:15〜 講師:矢野静明・豊島重之
11月22(日)開場14:00・『マウスト』開演14:15/トーク15時15分〜 講師:宇野邦一・矢野静明
11月22(日)開場18:30・『マウスト』開演18:45/トーク19時45分〜 講師:鵜飼哲・内野儀
11月23(月=祝)開場14:00・『マウスト』開演14:15
お申込みはモレキュラーのサイトで。
*どのイベントも、売り切れていたらごめんなさい。
ご予約はどうぞお早めに。
娘の友人が保護した捨て猫を、娘が預かっています。
ちょっと風邪気味だったのですが、すっかり元気になり……
元気が過ぎてやんちゃで目がまわるくらいです。
男の子です。
娘の家にはすでに飼っている猫がいるわけで……。
娘の友人の知人が猫を飼いたがっているという話だったのですが、
飼うならなんとかという洋種の猫がいいと言いだし、
つまりいらないと言われ……えー、どうするのーと言いながら
もうじき2週間になろうとしています。
写真よりずっときれいに毛並みもよくなりました。
行きがかり上、里親が見つかるまでは面倒をみることになり、
いちおうわたしのブログでも里親を募集します。
飼いたい方はどうか連絡ください。
と言ってもわたしの連絡先わからないと思いますが、
まるっきり知らない人からは連絡がこないでしょうし、
ほんとに飼いたい人はなんとか連絡をくれるでしょう。
このブログを見ている人も少ないですから、あんまり宣伝にはならないのですが。