◆大好きな絵本の紹介から。
『赤ずきん』 矢川澄子・再話 / 飯野和好・絵 (教育画劇)
「いきますとも。あたし おばあちゃん だいすきだもの。
よりみちなんか しないで、ちゃんと とどけてあげるわ。
おばあちゃんに もらった、この 赤ずきんを かぶって」
(かわいー♡)
グリム童話の「赤ずきん」は誰でも知っているお話だと思いますが、
この絵本は、なんだかとっても元気になる赤ずきん。
絵もかわいい。
かりゅうどとおばあちゃんの顔がまたいいんですよねえ。
矢川澄子さんの文章ですが、これは絵を見てからお話を書いたのでは?
と思うくらい、絵にぴったりです。
ぜひ本物の絵本をご覧ください。
むふふ……と思わず笑ってしまうと思います。
とてもすてき♪おすすめです。
◆
宅配に入ってきたふきのとうで、しばらく前に作った「ばんけ味噌」。
故郷では、「ふきのとう」を「ばんけ」と言います。
塩と、重曹が無かったのでベーキングパウダーを入れて茹でたのですが、
これであく抜きになったのかどうかわかりません。
ふきのとうを入れてすぐに火を止め、しばらく置いて、
その後水を何度か換えながら、水にさらします。
ぎゅっと絞って、みじん切りにして、胡麻油で炒めて、
甜菜糖・みりん・味噌で味付け。ほんの少しお醤油も。
こんなものかなあと適当に作ったのですが、香りがよくておいしい。
◆
さて、今日の休日ごはんは。
残っていたばんけ味噌で
焼きおにぎり。
フライパンにうすく胡麻油をしいて、おにぎりを両面焼きます。
ばんけ味噌をぬって、もう一度焼きます。
焼いてもふきのとうの香りが残っておいしい。
○△だったんですけどね。
いただきものの長芋が残っていたので、そろそろ食べなければと
梅肉とわさび醤油で和えたもの。
これもいただきものの、板わかめをまぶして。
昔ながらの作り方をした梅干を買ったのですが、
ちょうどいい塩梅でほんとにおいしい。
長芋を食べきるためにもう一品、長芋のステーキ。
長芋は、まるめたアルミホイルでがしがし洗って、
皮ごと輪切りにします。
フライパンで両面じっくり焼きます。
カチョカヴァッロというチーズが固くなりかけていたので、
今日はそれをのせています。
わさび醤油をかけて。
青いものがなかったので、つけあわせは
ピーマンと裂きイカに酒と醤油をまぶして電子レンジにかけたもの。
これはぼんやりした味になってしまいました。
ピーマンは炒めるかグリルで焼いてから、
おかか醤油をかければよかったと反省。
油揚げのお味噌汁に、板わかめをちらして。
明るい時間に料理の写真を撮ると、休日だなあとしあわせな気がします。
この流れで夕飯はなんだと思いますか?
味噌汁をすこし濃いめにしておき、
残っていた長芋をすりおろして……
とろろ汁でした。
ああ、すり鉢買ったのに、また使うの忘れました。
ひかりは
ぬるい吐息のように吹き込んできた。
伏せていた影が黒蝶となって舞い交い、眩しさに追いつめられた姿で壁に展翅される。
(スーハ!6号に載せた「カメラ・オブスキュラ」より)
◆
◆◆◆
◆
4月25日に観たモレキュラーシアターの「バレエ・ビオメハニカ」、
アフタートークを頼りに、復習のつもりで。
◆
舞台前面は、壁。
追い詰められ、苦悶する身体。
わたしたちはそれを見ているが、その場にはいない。
なぜならば、そこは密室であり、そしてそれがあった時間と、
わたしたちが今生きている時間はちがうから。
だから緊迫する舞台と安全な客席は時間によって隔てられている。
壁には白いプロジェクターの光が映し出され、
転換の度に、その四角い光が一瞬閃き、客席に向けられる。
その瞬間、わたしたちを隔てていた時間はその四角い光
あるいは鋭い文書によって斬り裂かれ、生々しい空気が入り混じる。
時に、光は機銃掃射のように観客をなぎはらう。
わたしたちは一瞬目を瞑って死に、目を開いた瞬間生き返る。
そうやって歴史の断片が、わたしたちの記憶に差し挟まれる。
舞台では、悲痛な身体が入れ替わっている。
捕らえられたのは一人ではない。
次はわたしたちの誰か、あるいは自分かもしれない。
頸骨を締めつけるような音が自分の身体から出ているのではないと
確かめながら、目の前の悲劇に目を戻さなければならない。
悲劇とは舞台の上だけではなく、現実の身の上に起こることなのだと、
メイエルホリドが生きた時代の悲惨さと共に考え込まずにはいられない。
追い詰められ苦悩する身体がぶつかりかきむしる壁の向こうには、
取り調べ室の外の日常、あるいはメイエルホリドの演劇の舞台や客席が
あったのだろうか。
わたしたちが見ていたのは、舞台裏だったのかもしれない。
なにも映し出さない白いプロジェクターの光は、潔白を意味するのか?
自白の白?
生きている間にやってきた仕事のすべてを、焼き払ってしまったということ?
つぎつぎと考えながらも解ききれずに残ったものが、ゆっくりと深いところへ沈んでゆく。
それにしても、演じる身体はもちろんのこと、朗読する声にひきこまれる。
メイエルホリドの肉体のなかにいて、演説する声をその内側で聴いているようだった。
とすると、わたしたちが観たのはメイエルホリドの内面の葛藤であり、
わたしたちは彼の口に呑み込まれていたのだろうか。
そして今、メイエルホリドは別の口を借りて語り始める。
肉体の死が生きるということと同義であるためには?
極限状況において、肉体の檻から密かに解き放たれてはばたき、
生きのびた影を、鮮烈な光の中に見ていたのかもしれない。
◆
◆◆◆
舞台はシンプルで美しい。
けれどもモレキュラーシアター主宰の豊島重之さんの文章のように、
そのなかに非常に多くの情報や緻密な思考が張り巡らされている。
観終わった時点から、読み返すように観たものを反芻しはじめる。
それが自分の言葉に置き換わっていく。
それが今でも続いている。
◆
写真の上の3枚は、娘からの贈り物のトイカメラで撮ったもの。
ここ数週間いろいろなことがあって、それらに耐えられたということで
自分の人生観さえも変わったような気がします。
はっきりしたと言うべきかもしれません。
疲れ果てて、書けずにいたことを。
◇
18日、ぷちっとサンサシオンでブックデザイナーの鈴木堯さんのお話を伺いました。
興味深いお話でした。
鈴木さんのブックデザインは、「上品」な印象です。
上品さを感じさせる理由の一つとは、「抑制」ではないかと思いました。
鈴木さんはルールをきちんと守る方です。
型のなかで仕事をします。(これは定型詩を思い浮かべました)
伝統とは、ルールを守り続けた結果に築かれたものだろうと思います。
デザインしたいという欲求がまさるのではと考えてしまいますが、
鈴木さんはそれを型の中で抑えます。
やりすぎない。
そうやって抑えることによって、切り捨てられたものがあると思うのですが、
鈴木さんは自分の思いを優先することよりも、
長い間に出来上がったルールには、意味(智恵)があって、
ルールを守ることが結果的に美につながると考えます。
つまり、自分を無にするということかもしれません。
自由さとは対局にあるように思えますが、
出来上がった本は無理なく呼吸をし、のびやかなのが印象的でした。
そして優雅で心地よい。
型に抑えつけられているのではなく、そのやり方や形を、
鈴木さんが一番美しい形として選び取っているからだろうと思います。
「本の強度」というお話もありましたが、
本の強度に自分の作品がどのくらい耐えられるだろうかと
考えさせられました。
◇
25日は、運転免許証の更新手続きにかけこみ、
その後、モレキュラーシアターの公演を観に早稲田へ。
とても濃い一日でした。とてもよかった。
その感想は、また。
◇
写真は、自分への贈り物、イギリスの赤ちゃんビスクドール。
椅子も買ったのですが、それは今すみれちゃんが座っています。
すみれちゃんが座っていた椅子にこの子を。
わたしが生まれる10年前くらいのもの?
赤ちゃんなのに、僧侶のような悟った顔をしてる。
名前、カフカの写真を見てたらなんだか似てるような気がしてきて、
「カフカ」になりました。
身長8.3cmのうちのカフカ君。
耳の形が似てないけど。
フランスのちっちゃな女の子もかわいかったのですが、
それは高くてあきらめました。
(この写真、すごく好き)
◆
◆◆◆
◆
◇モレキュラーシアター「バレエ・ビオメハニカ」公演のお知らせです。
◇詳しくは、ICANOFのサイトでご覧下さい
◆
◆◆◆
◆
早稲田大学演劇博物館企画展示
『メイエルホリドの演劇と生涯 没後70年・復権55年』
連動企画:モレキュラーシアター
『バレエ・ビオメハニカ』公演
2010年4月24日(土)ソワレ 開場18:30/開演19:00 ※ 残席あり
2010年4月25日(日)追加公演 開場12:00/開演12:30 ※残席僅少
2010年4月25日(日)マチネ 開場14:30/開演15:00 ※ 満席
2010年4月25日(日)アフタートーク 16:00~18:00
会場:早稲田大学演劇映像実習室(戸山キャンパス36号館/東西線早稲田駅)
主催:早稲田大学演劇博物館 演劇映像学連携研究拠点
▼ワンステージ40名限定につき事前予約受付中
モレキュラー・ICANOF両サイト上の予約フォーマットもご利用ください。
◆4月25日(日)14時半開場の公演は満席のため、
12時開場の追加公演が決定したようです。
◆書きたいことがあったのですが、身のまわりがあわただしくて、
今日はお知らせのみでごめんなさい。
ただ、演劇にあまり詳しくないわたしが書くよりも、
モレキュラーシアターの公演をみていただくのがよいと思います。
春咲きのクリスマスローズ(レンテンローズ)。
花びらのように見えるけど、実は萼(ガク)。
ミニマ・グラシア、ミクロストリア、美しい言葉の小石をひろいながら、
人と出逢う。
ちいさなものから、次は無へ。
傷んだところに目がいく。
京都で三十三間堂に行った時にも、
涙のすじのように見える顔の黒ずんだ仏像にいとおしい気持がわいた。
クリスマスローズ、これでおしまい。
似たような写真ばかりを見てくださり、ありがとうございました。
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日曜日、運転免許証の更新に行かなければと思ったのだけど、
結膜下出血で目が真っ赤になってしまい、うちにいた。
疲れていたのでちょうどよかった。
桜、通勤の電車から見たくらい。
今年はミモザも見に行けなかった。
気分だけでも、と久しぶりにお弁当をつくる。
お花見弁当
黒米をいれて炊いたご飯に、昆布締めで使った昆布の細切りと、
人参、油あげ、茗荷を炒めて甜菜糖・酒・醤油で味付けしたものを混ぜている。
茗荷のかおりの混ぜご飯。
疲れていて食欲がなかったのだけど、これは食べられた。
出汁巻き卵、鶏の網焼き、キャベツと人参の酢漬け、
フキの青煮、フキの葉の炒め物。
(フキっておいしいなあ)
新生姜の甘酢漬けでつくった花びらを散らして。
並んでるこれは……
初めて作った真鯛の押し寿司。
昆布は酢と砂糖と塩少々入れた中でやわらかくし、
水気を切ってから、塩を振っておいた真鯛をはさんで昆布締めに。
昆布をもどした甘酢は、寿司酢に。
間に新生姜の甘酢漬けをはさんでいます。
フキのひたし煮をそえて。
フキは茹でて皮を剥き、出汁にしろたまりと酒を入れて
一煮立ちさせたものを冷ましてから、ひたします。
花びらのように見えるのは、新生姜の赤いところ。
新生姜は、スライサーで薄切りにし、塩をふり、
煮立てた甘酢に漬けたもの。
熱が加わると、ほんのり薄紅に染まります。
実は、一番最初に押したのが、これです。
新生姜の甘酢漬けに赤ワインをいれて染め、
花びらを作ろうと思ったのですが花びら型が見あたらず、
ハサミで切ってみましたが柔らかくてうまく切れなかった。
おままごとのような出来になってしまいました。
添えているのは、菜の花の昆布茶あえ。
野菜も昆布締めにするらしいですが、もしかして
昆布茶であえたら似たようなもの?
おいなりさんも作りました。
実はこの歳まで、おいなりさんて作ったことがなかったので、
生まれて初めてのおいなりさんです。
しかも特大のおあげで作ったジャンボいなり。
1個でおなかいっぱい(笑)、次は小さいのをたくさん作ろう。
身近においなりさんの得意な人がいたので、自分では作らなかった。
その人の味に及ばず。
まだまだです。
フキとフキの葉の炒め煮。
鶏挽肉と油あげもいれて。
これも初めて食べた野菜。
わさび菜と言うらしいです。
細かなちりめん状の葉がきれい。
やわらかな緑の葉にひかれてつい手に取ったら、
同じように手にした人がお店の人に
どうやって食べるのかと尋ねる。
「生でも火を通しても」という簡単な返事。
生で食べるとつんとする辛みがありますが、
くせのない味。
ヨーグルトにマヨネーズ、マスタード、醤油、パルメザンチーズを混ぜた
ドレッシングであえて、和風シーザーサラダに。
醤油は入ったほうがあうように思います。
◇
日曜日、3日間で800枚以上撮った京都旅行の写真を整理しようと
思いながら、ほとんどできず。
歩きながら撮った写真ばかりで、ぶれているものも多いのだけど、
両親が写っていると、なかなか捨てられなくて数が減らない。
帰る日、サービスもあったのだろう、
母が「ピース」と言いながら写真に写る。
写真を見て笑ってしまう。
母よ、小指も立てたらピースではなく、まことちゃんのようです。
熱のある身で、童子はポロポロ涙をこぼしながら走りに走った。
どうしたのだろう。鉄ノ井を左に曲がり、そこではこわい女の人が、
童子達の右の腕をひっぱり、堤端の方につれてゆくといううわさが
あるので、眼をしっかり閉じて、神社の前の道をまっすぐにニノ鳥居
まで走った。道の両側の風に光る葉桜もみないで、海辺のほうへ
右に曲がって、人けのない小さな公園にたどりついた。
*
(福井桂子さんの「アネモネ 薄みどりの朝の光をあびて りすさん! りすさん!」
より部分を。「スーハ!」2号に寄稿していただいた詩です)
鉄の井(くろがねのい)
(写真をクリックしていただくと、文字も読めると思います)
鶴岡八幡宮の倒れた大銀杏を見てから、鎌倉駅に戻る途中、
案内してくれた野木京子さん におしえてもらって足をとめた。
福井桂子さんの詩を思い出しながら、話し、歩く。
福井さんの詩に出てくる鉄ノ井やニノ鳥居や神社。
読み返すと、抜け出た魂のように童子は自在に走り、
それを追う視線も地上からすこし浮いてすべるよう。
熱のある身体からしばし抜け出て、福井さんの思いは、
このあたりも漂っていたのかもしれない。
それにしても不思議な詩です。
植物とも動物とも向こう側の人とも言葉が交わせるあわいの世界。
眼をしっかり閉じたままで童子は走る。
*
鎌倉文学館へ。
きれいな瑠璃色の実を見つける。
「リュウノヒゲ」というのだそう。
「ジャノヒゲ」とも。
根は麦門冬湯(咳の薬)という漢方になる生薬だそう。
写真をうまく撮れずに残念。
1枚しか撮らなかったのでこれを。
*
中に入り、「鎌倉と詩人たち」を見る。
福井桂子さんの25歳と35歳の写真を見て、
なんだかとてもせつなくなる。
子供時代の面影さえ残るような
かわいらしい文学少女という印象の写真。
わたしはまだなんにも
福井桂子さんのことを知らないのだと思う。
でも、25歳の福井さんに会えてよかった。
*
鎌倉文学館の庭のベンチに野木さんと並んで座り、
江ノ電鎌倉駅で買ったパンを食べる。
前日までトンビの話を聞いてこわいよーと言っていたのに、
はるか遠くに飛んでいる鳥はいたものの、
やがてその姿も見えなくなり、安心しきって
切干大根入りパンを食べていた。
(これはとてもおいしかった)
と、突然、左の頬に強い風圧とばさっという音を聞いたと思ったら、
左手のパンがとられてなかった。
あっけにとられて、自分の間抜けさにも最初気づかなかったほど。
飛んでいたトンビが、視界に入らない角度からねらっていたのだった。
あまりの鮮やかさに逆に感心してしまった。
半ば呆然としたまま、スーハ!同人やほかのメンバーとも合流する。
その後、初めてお会いした方のご厚意に甘えて楽しい時間を過ごす。
ありがとうございました。
*
通勤の帰り道、連休明けで疲れきって電車に乗る。
鎌倉文学館の「鎌倉と詩人たち」のパンフレットを入れたままだった。
そういえば読むひまがなかったと、電車にゆられながらひらく。
「鎌倉は詩人を誘う」という三木卓さんの文章が載っていた。
なにげなく読んでいて、最後の2行でふいをつかれて
思わず泣いてしまう。
この展示は、4月18日(日)まで。
皆様どうぞお出かけください。
*
この白薔薇を、きのうお誕生日だった人へ。
左の花は、「中国ミツマタ」。近づくとよい香り。右は不明。
濃色のボケ。右は十月桜?
左は枝垂れ梅。右は、枝垂れ柳の花。
枝垂れ柳の花って、初めて見ました。
天龍寺や三十三間堂で。
両親の金婚式のお祝いで、京都へ。
二人とも京都ははじめて。
新幹線を乗り継いで、片道8~9時間。
無理をしてもらったけれど、とてもよい旅行でした。
見るもの食べるものに、まるで無垢な表情で、
感心し、驚き、喜ぶ。
家族のことだけを思い、自分を後回しにして生きてきた二人。
その清さに、そのつど決断し整理しながら生きてきたつもりだったのに、
わたしの人生はいつのまにこんなにも複雑になってしまったのかと思う。
たぶん、まっすぐ道をゆずれずにきたそのまわりで、
たくさんの人がふりまわされて動いてくれたのだろう。
その糸がからまりあって、時折、足がもつれる。
ちょうど、東山の花灯路だった。
写真の上が暗いのは、どうやら、雨に濡れないよう
レンズの上にひさしをつくっていた手のひらが写ってしまったみたい。
一日中歩きまわり、夕方6時には食事をし、お風呂に入り、11時に就寝。
朝は6時に起床し、お風呂に入り、7時に朝食、9時には出かける。
人間らしい過ごし方から、帰ってきてすぐいつもどおりの寝ない生活に。
片付けずにいったことや間に合わないことも思いだして、どっと疲れる。
旅行中のリズムをつづけようと思いながら帰ってきたのに……。
ねねの道にあるお店で食べた抹茶サンデー。
庭を眺めながら、いくらでも食べられそうだった。大満足。
わらび餅もふわふわで、きな粉の香りがよくおいしかった。
□■□■□
親孝行とは、自分の思いを果たすためにするものだったのだと、
帰ってからしみじみ思う。
両親に感謝。
二人を喜ばせてくれた、たくさんの人に感謝。
職場のプリムラ。つぎつぎ咲いて、見るたびに元気になれそう♪
最初に咲いた花が、一番こい色。
うしろからみても、ほら、やさしい色でしょう。うっとり。
咲きたては、こんなに白かったのに。
じょじょに色づきます。
♪ 輪になあって 輪になあって ♪
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
料理を一品。
鶏ときのこのテリーヌ。
添えてあるのは、「しらぬい」という柑橘。
ソースは、ヨーグルトでゆるめたマヨネーズにわさび、
しらぬいの果皮を削いでみじん切りにして入れています。
さらに、果皮と柚子胡椒を入れたオリーブオイルとバルサミコ酢と醤油の
ドレッシングもかけて。
しらぬいは、オレンジのようですが、とてもみずみずしい。
果皮は香りがよくて、柚子皮とはまたちがったおいしさです。
「銀葉の舟」は、2008年3月9日から始めました。
ですから、2年目、いつのまにか2歳ですね。
もともと日記は書きませんし、目的も無く始めたブログです。
なるべくひっそり、ふつうのささやかなことだけをつぶやくように。
なんとなく続けてきたのは、撮り捨てることになる写真があまりにもたくさんあるから。
まあいつやめてもいいからと力をぬいて続けてきました。
このブログを見てくれる人の数はほんとに少なくて、
時々笑ってしまうほどです。
一番ひどい日は、アクセス数が「2」でした。
「ブログなんだけどねえ……昨日ブログ見てくれた人、2人だけだったのよね」
とこぼしたら、目の前にいた知人2人が、
「あ、昨日、見たよ」と声をそろえて言ったのでした。
あ、あなたたちですか……
それはそれはありがとうございます(笑)。
という感じで3年目になりました。
ほんとにありがとうございます。
これからもあいかわらずですが、よろしくお願いいたします。
誰に向かって言っているのかわからないところがいいですね。
でもきっと、あの人とあの人とあの人くらいでしょう、
と見当がついてしまうくらいしょぼんとしたブログというのも
気が楽ですね。となぐさめつつ。
先日の沈丁花の続きです。
花芯に光が宿る時間。
雨上がりのしずくをひからせて。
ほらまるで湧き出てきたかのようでしょう。
ひとつひとつに光がともって。
写真を撮りながら思い出していた吉原幸子さんの詩を。
◆◇◆
むじゅん
とほいゆきやまがゆふひにあかくそまる
きよいかはぎしのどのいしにもののとりがぢっととまって
をさなごがふたりすんだそぷらのでうたってゐる
わたしはまもなくしんでゆくのに
せかいがこんなにうつくしくては こまる
*
とほいよぞらにしゅうまつのはなびがさく
やはらかいこどもののどにいしのはへんがつきささる
くろいうみにくろいゆきがふる
わたしはまもなくしんでゆくのに
みらいがうつくしくなくては こまる!
(吉原幸子)
◆◇◆
一連目だけ写そうと思ったのですが、タイトルが「むじゅん」なので
やはり二連目も書き写させてもらいました。
こまってしまうくらい美しい詩です。
*
沈丁花、まるで天使のようです。
*
***
*
今日の雪の写真。
せのびして降り落ちる雪を顔にうけながら撮ったので、
うまく撮れませんでしたが、
しずくが滴る枝に、ちょうど雪のひとひらがのったところなのです。
見えませんか。
スーハ!6号できあがりました。
今号は「私の街角」特集。
毎日通る街角、いまは遠く離れてしまった街角、好きな店のある街角
――人知れず愛する街角を誰もが持っている
それぞれの胸にある街角を集めたら、よい感じにまとまりました。
詳しくは、こちらよこしおんブログで。
ご購入ご希望の方は、
yokosionclub☆yahoo.co.jp (☆→@)
にメールをください。
今回、増ページのため定価800円となります。
職場の沈丁花が咲きました。
写真を撮っていると、ご近所の方がつぎつぎと
「こんにちは」「あら、写真とってるの」
と声をかけてくれます。
通りすがりの方も足をとめて話しかけてくれます。
「フィルムカメラは現像に出す場所がなくなったね」
としばしカメラの話を。
「香りも写るといいね」
ほんとに。
雨があがった昨日の朝は、とくに強く香っていました。
沈丁花って、花びらがかたそうなイメージですが、
近づいて見ると「クリオネ」みたい
まるで天使のようなやさしいかたちでしょう?
何度も外に出て、たくさん写真を撮ったので、またつづきを。
◇
スーハ!の「私の街角」特集を読んだ方が、
ご自分の街角について書いてくださったのを読むと、
なんだかしみじみします。
私たちは同じ空の下で、それぞれの街角を思っているのですね。
日本の街角っていいなあ、とあらためて思っています。
これはなんだかわかりますか?
?
?
これは……
これは青パパイヤ。
写真を撮った時間がちがうので、色もちがって見えますが。
宮古島のパパイヤです。
こんなに大きなものが届くと思っておらず、5個も注文してしまい、
ちょっとびっくり。
すでにパパイヤを使った料理の写真は何度も載せているので、
ほんとはこの写真を先に載せるはずだったのですが。
つぶつぶ嫌いの人がいたら、ごめんなさい。
竜王戦が気になる……(笑)。
ずっしり♪
それで『青いパパイヤの香り』を借りて観ました。
一時は一番好きな映画とまで言い、トラン・アン・ユンも大好きだと言っていたわりに、
ストーリーはほとんど忘れていました。
パパイヤを半分に切る音、切ったパパイヤをじっと見つめるムイの眼差し、
そういうみずみずしいイメージだけが残っていたのでした。
久しぶりに観ましたが、やはり大好きな映画でした。
けなげで働き者のちいさなムイが、割れた欠片で顔を隠して泣きだすのを見て、
一緒につい泣いてしまう。
トラン・ヌー・イェン・ケーが若くて美しい。
変わらない女優さんだと思っていたけど、この映画ではまだ少女っぽさも残っています。
印象的な料理の場面では、ニョクマムという調味料を多めに使っていて、
手際のよさに感心しながら興味深く観ました。
手のひらに青いパパイヤをのせ、とんとんと包丁で切り込みをいれてから
ささがきのようにそいで千切りをつくります。
実はこれやってみたのだけど、とてもむずかしくて根気がいりました。
映画では、刺身のつまのようにとても細く切っているのに感心しました。
こんどやってみよう。
したたり落ちるパパイヤの汁や、野菜の切り口や、庭の生き物を、
おとなになっても子供の頃と同じように見いる姿に、
これわかるなあと思ったのでした。
こういうところって、おとなになっても変わらない。
写真を撮っている時ってこんな気持ちです。
それにしても映画のパパイヤは、30センチくらい?
それで、青いパパイヤの香りって、うちにあるのは
香りのないキュウリのよう。
映画のようには感じないのですが、
木になっていないからでしょうか。
ベトナム行ってみたいです。
土曜日、ポレポレ東中野へいくつもりだったが、上映にどうしても間に合わないし、
ここのところ調子が悪かったのであきらめる。
「母のいる場所」の上映と久田恵さんのトークイベントに行きたかった。
そのまま自宅に帰るも、食事を作る気力がなく、
夜コンビニに行く用事ができたので、そこで買ったおにぎりでまにあわせる。
日曜日の朝、食べ残したおにぎりを冷蔵庫から出して冷たいまま食べる。
横になっているのに、ひどく疲れていてとても休みたいと思う。
休みながらあれもしなきゃこれもしなきゃと考えるので休んだ気がしない。
夕方になってさすがにおなかが空いてきたのだけど、
自分になにを食べさせたらよいのかわからない。
そういえば……と思って、いただき物の鯖缶の写真を撮る。
写真を撮ってから食べようと思っていたのだった。
写真を撮っていると気がまぎれて、すこし元気が出てきた。
鯖缶いろいろあれども、これは八戸で水揚げされた鯖を使い
八戸で加工されたもの。
八戸で食べた魚はおいしかったな。
デザインもなかなか。真鯖の文字が美しい。
鯖缶ならば、あれを作ろう…とやる気が出てくる。
開けたのは青い水煮缶のほう。
まずは開けてみます。
おお!ぎっしり!
食欲をそそるおいしそうなにおい。
おいしそう!
まさに真っ正直に作っているかんじ。
(この写真を撮った後、我慢できずにそのまま食べてしまう)
箸置きも、青森の海でひろった貝殻。
奥は、青パパイヤ(宮古島産)と鯖缶の煮物。
青森と沖縄のコラボ!とちょっと興奮する。
残り物の青パパイヤを適当な大きさに切って、鯖缶を入れて煮ただけ。
お醤油を入れて煮て、最後に胡麻油と醤油を入れ、
やや強めの火で煮からめるようにすると魚のくさみが出ない。
青パパイヤは煮るとやはり果物のような甘い香りがする。
冬瓜や大根だとくせがないと思う。
人参と青パパイヤのサラダといっしょに。
この鯖缶はほんとにおいしいです。
そのまま食べるのが実は一番おいしい。
作りたかったのはこれです。
鯖缶を汁ごと入れてお醤油で味付けしただけのうどん。
鯖缶の出汁だけで十分おいしい。
実家では人が集まる時に必ず作っていたうどん。
冷麦くらいの平たい乾麺をゆで、一食分ごとにまるめておき、
丼に冷たいうどんの玉をいれ、あつあつの出汁をかけ、
薬味にネギをのせ出していた。
乾麺が無いので、冷蔵庫にあった讃岐うどんで、つけ麺にして。
母にこれが食べたいと言ったら、最近はそんなの作らないと言っていたけど、
お肉を入れた出汁よりずっとおいしいと思う。
いなかではカレーにも鯖缶を使っていたことがあった。
こんど作ってみよう。
前日の残り物で作った今夜の夕飯。
今夜は出汁で煮込んで、紫色の辛味大根をおろしたものをのせて。
茗荷や青紫蘇をのせたのだけど
薬味はネギだけのほうがあっているかもしれない。
鯖缶の旨味だけでおいしくできる、というのがいいところ。
うどんがあるとわかっていたのに、どうしてもご飯が食べたくて
買ってきたお寿司。
オリーブオイル+バルサミコ酢+醤油を混ぜたものを上からかけています。
お醤油だけだと塩辛いけど、これをかけるとまろやかでおいしくなります。
トマトと玉ねぎをヨーグルトと塩胡椒だけであえたサラダと
泡が消えてしまった麦酒……じゃなくて麦とホップ。
これだけ食べられればだいじょうぶと笑われそう。
簡単にまとめるつもりがながながとすみませんでした。
さらに次回予告。
さてこれはなんでしょう?
今夜は、菜の花のパスタ。
菜の花は洗い、適当な長さに切り、塩水につけてから水気を切っておく。
オリーブオイルににんにくのみじん切りを入れて温め、
ハムを入れ火が通ったら菜花を入れて炒める。
青みが増したらシュレッドチーズ(とけるチーズ)を入れとかし、
ゆで上げたパスタとゆで汁少々を入れかき混ぜて火を止める。
生卵を1個わり入れ、手早くかき混ぜる。
オリーブオイル+バルサミコ酢+醤油を混ぜたものをかけ、
胡椒をふってできあがり。
かんたん和風カルボナーラ。
青パパイヤのナムル。
千切りにした青パパイヤを耐熱容器に入れ、
塩と胡麻油をからめ、 赤唐辛子の輪切り、チリインオイルも入れ、
電子レンジで数分。
お酢とお醤油をからめてできあがり。
この作り方でモヤシのナムルをよく作る。
一晩おいて、味がなじんだほうがおいしい。
バレンタインに久しぶりにシフォンケーキを焼いた。
生地を多めに作り、自分の味見用にクッキングシートで作った型に入れ、
シフォン型の横で焼いたもの。
娘が紅茶のシフォンケーキを食べたいと言うので、
今回は紅茶のシフォンケーキ。
アールグレイの葉をすり鉢ですったものと、煮出した紅茶を入れてある。
すこし早めに取り出したのだけど、型がひろすぎて、厚みが出ず、
焼きしめた感じになって失敗したと思っていた。
冷蔵庫に入れておいたものを切ってみたら、
思ったよりもふわふわで、これはこれでおいしかった。
あ、そうそう、今回グレープシードオイルもオリーブオイルも切れてしまい、
椿オイルを入れて焼いた。
生クリームがなかったので、
もう十数年前(?思い出せないくらい前)から作っている
カスピ海ヨーグルトをそえて。
ブルーベリージャムを落としたのだけど、
今一つ美的センスが足りない。
ちょっと気合いの欠ける料理の写真ばかりですみません。
*
***
*
土曜日、座・高円寺へ、展示中の矢川澄子さんの本を見にいく。
あまりの数の多さに、しばしボウゼンと立ちつくす。
これをここですべて読む時間はないし、そろえるにも経済的に無理…
と途方に暮れる。
持っていない絵本を手にとる。
「つるにょうぼう」と「賢者のおくりもの」を読む。
よく知っている物語なのに、こんなに美しく語られた絵本には
初めて出会うような気持になる。
誕生日に少しずつそろえよう。
それにしても、生涯にこんなにたくさんの仕事を残すなんて
と展示された壁と向かい合う。
*
これは2月4日まだ咲き始め。
2月13日
2月16日
色鉛筆で描いたようでしょう。
撮った日付を見て、花が長持ちするのにあらためてびっくり。
「みんな生きることをやめてから、ずっと元気になったんだよ。
もうなんにもこわいことはないし、病気にもかかりっこないし、
心配ごともないからね」
(『青い鳥』メーテル・リンク/堀口大學 訳より)
思い出の国で再会した、おばあさんチルが言った言葉。
職場のオリヅルランの鉢に生えてきたカタバミの葉。
ひょろひょろとかわいい。
勝手に生えてきたのだけど、かわいいからそのまま。
水曜日の夜は、 大好きな人からの年賀状に「行こうと思います」
と書いてあったので、ほんとに久しぶりに歌を聴きに行った。
約束をしていたわけではないので、残念ながら会えなかったけれど。
昨年は1度も行けなかった。
顔見知りの人と懐かしい気持ちで話をする。
好きな歌が聴けたからよかった。
たましがあたためられて、おもいものをぬいでみがるになったよう。
ああ、わたし、今までなにをしていたんだろう
と、本来の自分に戻れた気がする。
重いものを脱いで身軽になると、ひとりきりで孤独でひどくさびしい。
無理に元気になったりしない。
いつもそこに戻って新しい気持ちで。
清々しいくらい、なにもないところから、なにも持たずに。
捨てると言うのでもらった鉢、蕾がついて、今年最初の花が咲いた。
えらいね、と言いながら写真を撮る。
2つめの蕾も開いた。えらいね。
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休日のご飯。
実はこれ一食だけしか食べていない。
しかも、パンと真中の野菜と刻んだハムしか食べられなかった。
(じゅうぶんですか……?)
ここのところものすごく疲れていてずっと食欲もない。
ほんとうはお粥にしたかったのだけど、パンとレバーパテを解凍してしまい、
期限切れが心配な食材を片づけようとがんばって作ったのだけど。
卵もほんとはかた焼きが好きなのに。
ずっと元気が出なくて、体中が痛いので、風邪かもしれない。
ほとんど食べられなかったので、期待して体重をはかる。
なんと増えていた。
(麦酒は飲みましたが)
食欲が無くてむくみがとれない時には要注意なのだけど、
昼過ぎまで寝てしまったので、まだ起きているという悪循環。
手前が鶏レバーのパテ。
鶏レバー500gを流水にさらし、玉葱、セロリなどと一緒にバター20gで炒め、
白ワイン80cc、塩、胡椒、ローリエを入れて煮込み、粗熱がとれたら
ローリエを取り出し、フードプロセッサーでなめらかにし、ココットなどにつめる。
今回、生ハムのきれはしも少し入れています。
おいしいと思うのだけど、今日はお粥の気分だった。
いつも椅子で寝てしまうので、ちゃんと横になって寝よう。
元気になるかもしれない。
先日の雪の降った翌朝、立ち止まっては写真を撮りながら職場へ。
おつかいの途中で道草し、森のなかで花を摘んでいるうちに
遅くなってしまった赤ずきんちゃんの気持もわかるというもの。
おばあさんの家についたら、狼に食べられてしまうタイプです。
とけた雪がしずくになって
宝石のよう。
☆
こぼれてつらなる。
白いのもあります。
これは葉牡丹。
花キャベツとも。
牡丹菜という名もあったそう。
紅白で、店先の鉢植えに植えてあったもの。
これは花ではなくて葉ですが、葉の様子が違うたくさんの品種があるようです。
「Brassica oleracea var. acephala」というタイトルは学名。
(まちがってなければいいのですが)
花言葉には「慈愛」「愛を包む」のほか「物事に動じない」なども。
なるほど。
ほかに「利益」「祝福」なども。
なるほどなるほど。
自分はいったいいつ生まれたのか、またどのようにして生まれたのか、
雪のひとひらには見当もつきませんでした。
あたかも、ふかい眠りからさめたときの感じにそっくりでした。
(『雪のひとひら』ポール・ギャリコ/矢川澄子訳 より)
おかしなこと、と雪のひとひらは思いました。
どちらをむいても、わたしとおなじ、生まれたばかりの雪の兄弟姉妹が
こんなに大勢いるのに、それでいてこんなにさびしくてたまらないなんて。
雪のひとひらは、何かこうなつかしくもやさしい思いやりのようなものが、
身のまわりをすっぽりつつんでくれていることに気がついたのです。
このからだは、ガラスか綿菓子のかけらのような、
幾百幾千の、きよらかにかがやく水晶でできていました。
また引き返してきてくれればいいのに、と、雪のひとひらは、
われ知らずそんな気持になっていました。なぜって、ほんとにあかるくて、
すてきな子だったのです。そうです、日の出よりももっとすてきだとさえ
思われるのでした。
雪のひとひらは、もはやかつてのような、星と十字と三角四角とを織りなした
レース模様の生き物ではありませんでした。
彼女は雨のしずくであり、彼は雪のひとひらでした。
(すべて『雪のひとひら』ポール・ギャリコ/矢川澄子訳 より)
昨年から読んでいた『ノラや』(内田百閒 著/中公文庫)を読了。
百閒先生のあまりの憔悴ぶりに、こちらも元気が無い時には
なかなかひらけなかったり、先に読まなければならないものがあったり、
書かなければならなかったりで、電車のなかで少しずつ読んでいた。
惜しみながら読み終えたのだけど、ずっと持ち歩いていたので
バッグに入っていないのがさびしいくらい。
『第一阿房列車』を貸してくださったKさんが見えたので、
「わたしはすっかり百閒ファンになりました」と話す。
Kさんは今ご家族が入院中で、毎日病院に通っている。
忙しい合間に寄られ、今度は『ほんわか介護』(城戸真亜子 著/集英社)を
貸してくださる。
本の話をすこしする。
日々のたいへんなことから離れ、二人で気があって笑う。
帰ってから、本を読むとはそういうことなんだろうとしみじみ思う。
みんな元気になれたらいいな。
*
***
*
知人が「食べられない料理の写真はつまらない」と言うのだけど、
たしかにそのとおりである。
だけどこりずにアップ。
ネットでおすそわけできなくて残念。
でも味まで写らないのがよかったりして。
タイの鶏肉のせ炊き込みご飯「カオ・マン・ガイ」を作ってみようと思ったのに、
勝手にアレンジして、焼き鶏のせターメリックライスになる。
職場からの帰り道にインドカレーのお店があって、
たまにリクエストがあると、持ち帰りにしてもらい子どもたちの家に寄る。
そこのカレーは絶品、厨房の人が入れ替わったらしくさらにおいしくなっていた。
それでむしょうにターメリックライスが食べたくなり、
タイ米にターメリックとカレー粉、ナンプラー、生姜を入れ、
フライパンで表面だけかるく焼いた鶏肉をのせて炊き込む。
圧力なべでいつものように加圧3分、自然放置。
鶏肉をゆでたスープで炊きこむのだろうけれど、その場合
いったん冷やして、白く固まった脂を除いてから使いたい。
その時間が無いので、焼いて、余分な脂だけ落とす。
お弁当にも入れるのが前提なので、あまり脂っぽいのもと思って。
これはこれでおいしかった。(いつでも自分に甘い)
玉葱をスイートチリソースとチリインオイルと柚子酢で和えたものを
付け合わせに。
生の玉葱やニンニクって以前はほとんど食べなかったのだけど、
宅配に入ってくるものを食べきろうとするうちに、たくさん食べるようになった。
大根と人参のなます、香菜を添えて。
寒くなったためか、今回の大根はみずみずしくて、とても甘かった。
ちょっと太すぎたか…。
なんとなくベトナムっぽいかも。
翌日の夕飯。
疲れていたので、作り置きの挽肉とニラの炒め物を入れて雑炊を作る。
スープにナンプラーを入れて。
先日冷蔵庫の整理をしたら、賞味期限切れのナンプラーが2本出てくる。
買ってあるのを忘れてまた買っていたのだった。
背が低いので、高いところのドアポケットが死角である。
期限を見たら、どうやら3年おきくらいに、ブームがやってくるよう。
でもナンプラーの扱いにだいぶ慣れたので、今回はだいじょうぶそう。
前日のなますに、チリインオイルを混ぜる。
チリインオイルは、唐辛子やにんにく、海老などの混じった甘辛いペースト。
旨味も出るので、使いやすい。
少しずつ調味料に慣れている。
◇
久しぶりに『青いパパイヤの香り』が観たくなり、DVDが欲しくなったけれど、
今月はがまんしよう。
金曜日、ちょっとむしゃくしゃすることがあって、携帯をとり
「年齢不問・高収入」で検索する。
できそうな仕事なし……。
「高収入」が無理だったか……。
本気で仕事を辞める気なら、こんなことでパケット代を使っていられない
とだんだん冷静になる。
あぶなかった……。長い春休みがやってくるところだった。
それにしても、「北風と太陽」の旅人の気分である。
強い北風が吹けば吹くほど襟元をあわせて、決してコートを脱いだりしない。
わかりくいかもしれないけど、説明しにくいので。
先週はなんだかくたびれました。
だからというわけではないのですが、髪を切りに出かける。
乗り換えの駅で、夕焼けを背に木々の影がきれいだった。
まだ真っ暗になる前の短いけれど美しい時間。
夕闇のなかで柳がやさしかった。
☆
美容師さんとタイ料理の話をする。
彼女は鼻のなかにつめてもよいくらいパクチーが好きだと言う(笑)。
わたしも大好き。
たまたま見つけたタイ料理のお店で食事をして帰る。
おいしかったけれど今一つ納得できず。
アムリタ食堂つよし。
家に帰ってドアを開けるとアジアの屋台のにおいがした。
(行ったことないけれど)
実はその前日の金曜日、ストレス解消とばかりにあれこれ料理をしたのだった。
金曜日から日曜日にかけて作ったタイ風?の料理を一挙公開!
ジャスミンライス(タイ米)を買ったので、炊き込みご飯を作る。
塩豚と白菜を圧力鍋で煮てあったので、塩豚を小さな角切りにして、
煮込んだスープにナンプラーと生姜を入れてご飯を炊く。
フィスラーだと、国産米を炊くのと同じ時間の加圧3分で。
スープはほぼ同量、気持ち少なめ。
手前によそったのは、塩豚を取り出し、残った白菜に
粗ごしトマトで作ったソースを入れ、またすこし煮込んだもの。
最近は、白菜のトマトソース煮をよく作る。(普通の鍋で)
ブイヨンを少し入れれば、お肉を入れなくてもじゅうぶんおいしい。
玉葱も入れ、トマトソースを入れたら、野菜の水分だけで蒸し煮。
思ったよりもこくがあって、ミネストローネのようになる。
そこに細めのパスタを入れてもおいしい。
さてこのタイ米の炊き込みご飯、 胡椒をふって、パクチーをのせて
スプーンで。
ご飯がスープでほろほろ崩れておいしいです。
半分イタリアン?
その2。
鶏挽肉と青菜の炒め物。
油あげで作ろうかと思ったけれど、ひさしぶりに挽肉を買ったので。
にんにくと生姜を炒め、香りが出たら挽肉、人参、玉葱、青菜を炒め、
ナンプラーとスープでざっと味をからめて、最後に醤油を入れて。
青菜はターサイだったと思います。
唐辛子を入れようと思っていたのに忘れる。
実は料理の本を買ったのだけど、それを見ずに適当に作っている。
その3。
春雨のスープ。
ひき肉に塩胡椒し玉ねぎのみじん切りを混ぜ たミートボールを
生姜とレモングラスを入れたチキンスープでゆでて、
さらに出汁をとっています。
しいたけを入れて、もどした春雨を入れ、
ナンプラー、塩胡椒で味を調え、最後にパクチーを。
このスープを炒め物にも。
日付が変わって、日曜日のご飯。
生春巻き。
以前作ったのはもう何年前だったろう……。
最初サニーレタスがあったので大きなまま敷いたら失敗。
ライスペーパーからはみ出るので、のりしろがなくなってくっつかない。
それで、千切りにしたレタス、千切り人参を塩と柚子酢であえておいたもの、
細切りの卵焼き、焼いて細切りにした油あげ、バジル、
鶏挽肉とニラと春雨の炒め物、ゆでた海老が入っています。
油あげを入れたことが味に効果をもたらしたかどうかは不明。
思いついたものをあれこれ入れてしまった。
このライスペーパーちいさいよぉ、と思ったけれど、具をのせ過ぎでした。
たよりなげにくずれそうな巻きあがり。うーん……。
ライスペーパーは、まな板にラップを敷いてライスペーパーをのせ
霧吹きでまんべんなく水分をかけたら、その上にラップを重ね、
またライスペーパーをのせてのくりかえし。
そのまま5分くらいおくと、もどって巻ける状態になっています。
このもどし方だと、キッチンペーパーに挟んでもどすよりも気楽です。
生春巻きのたれは、スイートチリソースがなくて、
甘みを抑えたチリソースのようなタイドレッシングがあったので、
それに柚子酢、甘みが足りなかったのでママレード、
ピーナッツのかわりに炒ってみじん切りにした松の実、パクチーを入れて。
炒め物に使った干し海老のみじん切りもすこし。
スイートチリソースって、無いと食べたくなる。
これはこれでまあまあ。
今まで食べたことがないような生春巻きだった。
自分で作って言うのも変ですが。
スイートチリソースの味の印象が強いのかも。
この具材だと、マヨネーズもあったかもしれません。
これはふつうの日本の大根と油揚げの味噌汁。
パクチーのせて気分はアジア。
ほかにも作ったものがあるのですが、このへんで。
作り終えたところで疲れて寝てしまう。
(正確には、食べ終えたところでですが)
ストレス解消になったか……作りすぎて疲れただけかもしれない。
ぜんぜんタイ料理じゃないとご不満な方は、
どうか大目にみてください。
これは椿のわびすけ。「初嵐」という品種だそう。
わびすけのなかでも、葉もつぼみの形も細め?
茶道の初釜で、よく活けるそうです。
ごめんなさい、聞きかじりでお茶の事くわしくありません。
実は昨年暮れに、蝋梅と一緒にいただいたもの。
長い休暇中まっくらな部屋においてあったのですが、
年明けに職場に出てみると、蕾がひらいていました。
椿は活けたあとにも蕾がひらきやすい花だと思いますが、
とてもうれしかった。
いつもはカサカサになって落ちてしまう蝋梅の蕾も、いくつかひらきました。
お花をくださった方から「おじょうずねえ」とほめらてもらいました。
蕾をゆすらないよう、水を換えなかったのがよかったのかな……。
****************
古い写真ですが、たまごのような椿を見て、魚の卵→数の子と連想して。
数の子入りの松前漬をいただくと作るサラダです。
松前漬に大量の(3本くらい)千切りニンジンを足し、米酢を入れてよく混ぜます。
それだけなのですが、とてもおいしい。
ニンジンいくらでも食べられます。セロリもあいます。
松前漬はもちろん数の子なしでも。
わたしはお酢もどどどと入れますが、お酢なしでもだいじょうぶです。
和えた翌日のほうが味がなじんでおいしいです。
◇◇◇
日曜日は恵比寿の東京都写真美術館で
『木村伊兵衛とアンリ・カルティエ=ブレッソン』展を見る。
1952年に撮られた、生まれ育った町の名前がタイトルの写真を前に、
別の感動を味わう。
気分は「タイ」です。(笑)
先週忙しかった上に、冷たい風がびゅうびゅう吹いた日に用事があって吉祥寺へ。
用事といってもすぐに済んでしまうことなので、せっかく電車に乗っていったのに
なんだかとんぼ返りはもったいない。
それで前々から行きたかったお店へ。
タイ料理のお店です。
「アムリタ」とは不老不死の水「甘露」の事、とお店のパンフレットに。
このお店はほんとにおいしいです。
生春巻きとトンとろ香ばし焼きを頼み、うーんと迷ってスープご飯のSを追加。
一人だと、何皿も頼めないので残念です。
ここの生春巻きはぎっしりつまっていて、もちろんおいしくて大満足。
初めて生春巻きを食べたのは、新宿のアジアンキッチンだったか……。
その時一人で二皿、生春巻きを食べました。
以来、おなかいっぱい生春巻きを食べたいと自分でライスペーパーを買って作りもしましたし、
メニューにあるお店では必ず注文し、お惣菜でも買ったり…。
けれどもここアムリタ食堂の生春巻きが現在1位です☆☆☆
香ばし焼きも、スープご飯もおいしい♪
もともとエスニック料理は大好き、パクチーや香りの強いハーブも大好き。
毎日ここでご飯食べてもよいくらい。
それで一気にタイへ気分が向いて、ジャスミンライスやタイ・ベトナム料理の本を
買ってきたので、まずはスープご飯を作ってみたいと思います。
ジャスミンライスっておいしいですよねー。
よし、タイ料理に挑戦するぞー。
*
***
*
土曜日はフィリア・プロジェクトの『from/to 9.11 ビクトル・ハラの歌が殺されるとき』を観に両国へ。
これまで観たフィリア・プロジェクトの舞台のなかで一番好きでした。
1973年の9月11日という奇しくも同じ日付を結ぶことによって、
わたしたちがその線の上で生きているということ、生きつづけなければならないということ、
その直線をこちらから、そして向こうから彼方へと眼差しを向けたときに、
わたしたちは「生きてきた」ということにもあらためて気づかされたのでした。
過去の悲惨という大きな出来事だけに目をとられると、人が生まれ死んでゆくということや、
ささやかなことで笑い泣いている姿が見えにくくなります。
けれどもどのような状況であれ植物が芽吹き、葉を茂らせ、倒れ踏みつけられても
また立ちあがり新しい芽を出してきたように、わたしたちの生命のいとなみも
つづいてきたのだということ、その確かなことを希望として感じられたのでした。
フィリア・プロジェクトの舞台を、観客という傍観者のまま観ることは難しいのですが、
詩が無いと走り回るその人に、手渡されたその詩を今度はこちらから差し出したくなる、
そのように自分が意志を持った瞬間を、種子のように抱いて帰りました。
演じた女性たちの指さきの小枝が息を吹き返すように芽吹き、
その葉がわたしの内でも青々とそよぎ始めています。
『糸の宝石』というのは、本の名前。
娘にあげようと買ったのですが、あげずに自分のものにしちゃおうかと思ったほど。
そんなけちなことしないで、あげましたが。
でも、感動しました。
パリの蚤の市で、レース編みの見本や編み方などを書いたものが入った段ボールを見つけ、
それを買って日本に持ち帰り、本にまとめたものです。
美しいクロッシェレースの本。
編み地記号じゃなくて、編み方を文章で書いているんですね。
娘の話によると、編み地記号というのは、日本ではふつうですが、
海外にはないそうです。(全くないのかは、未確認)
わたしは編み物はしませんが、クロッシェレースの見本を見ているだけでも
うっとりため息が出ます。
編み物をしない方にもおすすめ。
なかの文章もすてき。
『糸の宝石』 (ラトルズ刊) ¥1890
レースの美しさにも、それを本にした人の思いにも感動しました。
ほんとにおすすめです。
☆北斗七星
☆これは、息子たちからのプレゼントのフレーバーティーに入っていたもの。
☆紅茶の葉っぱのなかの銀星のような金平糖だけ、拾いました。
かじってみたら、星は甘かった。
どうしてか四角い瓶が好き♪
☆ひさびさに食べ物の写真を。2色ピザ餅。
左側が玉葱とエリンギとハム、右が残り物の挽肉とニラで作った肉味噌。
チーズをのせて、真中に卵をのせて、250度のオーブンで10分くらい?
もっと短くていいかも。
焼きあがったらすこしだけお醤油をかけます。
くっついているので2種類ってわかりませんね。
☆真中の卵がのったところを切ってみますよ。
やはり、見分けがつきません……。
卵なしでもいいわけですが、チーズと卵はよくあいます。
肉味噌とチーズもわりとあいます。
そのほか、すき焼きの残りに入れたり、いろんな残り物とも相性がよくて
お餅ってえらい。
ピザ餅は、どこのお宅でも作ると思いますが。
お正月も終わって、今頃……でしたね。
☆☆☆
原稿を仕上げなければならないので、このへんで。
元日に多摩川へ。
染色用のヨモギを探しに。
ヨモギは見つからないので、探すのを忘れて枯れ草を観察する。
気がついたら、草の実や綿毛がコートの裾だけではなく、
袖口や靴下にまでくっついていて、イガだらけだった。
手で払おうとすると繊維の奥にもぐりこんでしまい、
あきらめてそのまま枯れ草のなかに分け入って写真を撮る。
ススキを透かしてみると、
穂綿が、まるい虹のように見えた。
まぶしいものばかり見ていたら、
あたりがざわざわいいはじめて、急に強い風が吹き始めた。
ススキが音を立てて風にゆさぶられる。
穏やかな晴天で風もなかったのにどうしたんだろう……。
ざざざざと草むらはざわめき、風はうなり、地響きに似た音がして
一瞬地震かと思って身構える。
もしかしたら巻き上げられるかもと不安になる。
見渡すと誰も近くにいない。
あ……。
枯れ草がいっせいに空に舞いあがる。
カメラを持っていることを思い出してあわてて撮ってみたけれど、
一瞬なにがなんだかわからないくらい巻き上げられた枯れ草は、
あっというまに青空にすいこまれてしまいました。
気がついたら、風もやんでいた。
すべてがおさまってから娘が姿を現したので、
すごい風だったねと言うと吹いていないと言う。
ではあれは「竜巻」?
今年最初の日に、生まれて初めての体験。
まるでリュック・ベッソンの映画で、ジャンヌ・ダルクが神の声を聴く場面のようだった。
あんなふうにざわざわした。
もちろん、風の音しか聴いていないけれど。
帰ろうと思って振り返ると、川の水が光っていた。
前には長い影。
昨年、大晦日に見た「鏑木清方展」の言葉から。
+
風流のやまとごころ、清くあれ、潔くあれ、うるはしくあれと念じつつ、
己が途をただ、ひたとゆくばかり、作者の期するところその他にない
+
鏑木清方の言葉です。
鏑木清方の創作への態度と生き方が、この一言に現れていると思います。
ようやく時間ができ出かけてゆき出会った言葉、
人は思いがけないところで、励まされるものだと思います。
かつて、新聞の日曜版に載った鏑木清方の絵を
しばらくしまって持っていました。
手帳に展覧会の期間を書きいれたのですが、
その時はどうしても行くことができませんでした。
いつか見に行こうと思いながら、ようやく夢がかないました。
日々、なかなか目的にたどり着けず遠回りしてばかりいるような気がしていましたが、
実は、人はなかなか曲がれずにまっすぐ願うほうに向かっていて、
時間をかけてもいずれはたどり着けるものなのかもしれません。
それをひそかに信じながら、新しい年を迎えました。
鎌倉にある鏑木清方記念美術館にも、できれば年内中に行ってみたいと思います。
+
皆さまが穏やかな新年をお迎えでありますように。
今年もよろしくお願いいたします。
銀葉の舟/佐藤恵
みなさま、
今年一年たいへんお世話になりました。
つたないブログを読んでくださり、
ありがとうございました。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
今年は夏の間、絶不調でしたが、この冬は関節痛に悩まされています。
どうやら手指の第一関節が変形する病気のようなのですが、
右手の親指と人差し指が特に痛むので、字を書くのに不便です。
以前から時々あるのですが、手だけではなく、
なぜか足も足首も手首も膝も腰も全ての関節が痛みます。
どの症状も、原因を見ると「老化」という言葉が出てきて(笑)、
ならば抗いようもないですし、しかたないですね。
暮らしも、新しいものをそろえ便利にしていこうと思う一方、
持ち物を減らして整理していこうという気持ちにもなります。
肉体的にも精神的にも、たぶん転換期なのですね。
将来を見ながら、その先に終わりが見えるところまでやってきたということでしょうか。
もともとあまり期待しないタイプですが、わりとあっさり
いろいろなものを手放してもよいような気がしてきました。
「生きる」ということと「暮らす」ということが、
もっと近づいたらいいなと考えています。
時々、読んでいない本の数を思うと、既に老化が始まりのろまなわたしでは
とても生きている間に読むのがまに合わないと絶望的な気持ちになりますが、
できないことや手に入らないことを受け容れながら生きていくよりほかありません。
それを体調によって気づかされ受け容れることによって、
なにかが切り替わったように思います。
たくさんのことをあきらめるのが上手になりましたが、
さあここからは、自分ができる分だけじっくりという新鮮な気持ちにもなっています。
なにをやるにも時間がかかるので、多くのことをこなすことはできませんが、
少ないことを集中してやっていけたらと考えています。
さて、出かけた場所と数は少なかったのに、たくさんの方から親切を受け、
思い出深い一年となりました。
よい人と出会い、その出会いによって、これからの方向を見極めることができました。
数は少ないですが、与えられるものの大きい本や映画、そして舞台を見ました。
そしてよい詩をたくさん読ませてもらいました。
みなさまに感謝いたします。
*
***
*
今年最後の仕事のあいまに(笑)撮った写真を。
乙女椿だと思います。
花びらが、ハート形なんですよね
*
ではみなさま、よいお年をお迎えください。
玉葱・紅茶・ゴーヤ・春菊・茄子の写真を。
光の加減で色合いがちがって見えますが、コースター6枚を重ねたところです。
玉葱・紅茶・ゴーヤ・春菊・茄子は、糸にしみこんでいます。
手染めの原料でした。
ほんとうは、染料となった野菜と一緒に撮ろうと思ったのですが、
ゴーヤと茄子が冷蔵庫に入っておらずあきらめました。
並べた木の実は、染料とはまったく関係のないものです。
明るい黄色が「玉葱」の皮、濃いめの茶色が「紅茶」、
薄茶色が「春菊」、薄黄色が「ゴーヤ」、薄灰色が「茄子」で染めたもの。
(あってる?)
娘からのクリスマスプレゼントでした。
糸を自分で染めて編んでくれたものです。
ほかにマフラーも。
彼女はなかなかよい仕事をします。
しかも早い。
子どもの頃、母から編み物を習って、「間違えた編み目までほどいて編み直しなさい」と
言われ、やり直さずにどうにかつじつまがあわせられないのかとごねた私とは正反対です。
すぐに編み直し、しかもあっという間にやり直した分を挽回する。
すばやく迷わず行動して、取り返しがつかなくなるのを防ぐ。
まるでそれぞれの人生のようですが、情けないほうが私で、
娘の生き方はなかなか頼もしいのでほっとしています。
染料になったものを思い出しつつ
「玉葱・紅茶・茄子・ゴーヤ・アボカドだっけ?」とメールすると
「玉葱・紅茶・ゴーヤ・春菊・茄子だよー」と返信あり。
おいしいものをいただいたので、その写真を。
こんなにぎっしりたっぷりはいっていたなんて。
ふんわり、とろとろでおすましもおいしいです。
ごちそうさまでした。
土曜日は「クモノス」という劇団の旗揚げ公演「雨、月に舞い散る花」へ。
おもしろかった。
よい意味ですが、大切にしているマンガの本をかたっぱしから読んだようなおもしろさ?
しかも、おとなになってから読みかえしているという切なさもあり。
脚本もうまくまとまっていて、個性的な役をそれぞれがうまく演じていました。
直球でわかりやすい大きなテーマを(しかし言いきるには勇気が要るテーマを)、
彼らとは世代もちがい、実はほとんど同じものを読んでいない私が
抵抗もなく楽しむことができたのは、どうしてだろうと考えました。
役者さんの個性を活かした愛すべき性格の役柄が描かれバランスがとれていたこと、
役がのびやかに動き出して自然な流れをつくっていたこと、
めまぐるしい会話の中に美しく印象的な詩が挟み込まれ、うまく場面を押さえたこと、
脚本家の視点がおおらかで深みもあり好感が持てたことなどでしょうか。
切実な問題を抱える世界の闇のなかからそれでも「希望」を見出そうとする素直さと、
演劇の可能性を信じる姿が重なり、舞台へ射し込む光になっていたと思います。
脚本演出、今回は舞台にも立った乃木太郎さんは兄弟二役を演じ、
これは後になって思ったことですが、「タッチ」のみなみちゃんのような存在の
夢子ちゃんこと可憐な滝野裕美さんをはさんでの関係に、おばさんはほろりとしたのでした。
今後は、危機的な状況が2割くらい抑えられ、ふつうの状況で展開する劇を
ぜひ観てみたいと思います。
あと二日、仕事がんばります。ふぅ。
こよい
みなさまがたのまくらもとに
なによりも健康という贈り物が
置かれますように。
☆
***
******
□
ねこもくつしたにはいってもらいました。
ぬくぬくで気にいっているようです。
ほんもののねこがほしいですが、今はがまんです。
☆
木木木
木木木木木
□
同じ写真ばかりですみません。
ねこちゃん正面バージョンも。
クリスマス小噺を思いついたのですが、
今日はとてもとても忙しくてくたびれてしまったので
披露できません。ざんねん。(笑)
画面をひらいたまま、あやうく寝てしまうところでした。
(ちょっとうたた寝しました)
林檎をいただきました。 サンキュ!
故郷の林檎のかおりがします。よいかおりです。
寝室に置きました。
よい夢を見るかもしれません。
☆
***
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ではみなさま、よいクリスマスを。
夢を見た。
なぜか、わたしはフランスで絵を描いている。
窓の向こうにはちいさなまるい実をつけた細い枝が見え、
外気は明るく澄んでいる。
影になった窓の下に、絵を立てかけている。
「どうだろう……?」と知人にたずねる。
「うーん……」とわたしの絵を見ながら、知人は言いあぐねる。
そして絵というよりもわたしの生き方に問題を向けてなにか言いかける。
その言葉に反応したわたしは
「わたしには使命感のようなものが必要なの。
そういうものがないと独りでがんばれないの」
と必死で言い放ってしまう。
とほほと思いながら目が覚める。
夢のなかでもやっぱり扱いにくそうな自分が人を困らせている。
それに使命感などという言葉を不用意に使ってまで
がんばろうとしているなんて……トホホ。
ただ夢とはいっても、自分で自分に疲れてしまうようなところは
じゅうぶん思い当たるわけで、わざわざ夢にまで見て
これ以上なにに気づきなさいという暗示なのだろう。
実力が無い分せいいっぱいやらなければ間に合わない
という思いがいつもあって、空をかくようでもどかしい。
そしてやはり自分の無力さにうなだれながら、
それでも生きていかなければならないとあきらめをつける。
がんばってもだめなものはだめという夢だったかもしれない。
よくわかっているので今さら暗い気持ちにはならないけれど。
逆に夢の中では、木の床と白い壁、緑が見える木枠の窓、
大きなテーブル、シンプルな木の家具、
十分な明るさとやさしい影と清々しい空気のある部屋に住んでいて、
そのへんは好きなものに妥協が無さそうだったので安心する。
しかもなぜかフランスだった(笑)。
☆
その夢の原因ではないだろうけれど、この間「役不足」という言葉を
反対の意味で使うという絵に描いたような失敗をしてしまった。
言いながら、あ、逆の意味だったかもと思いながらも言い直せず。
相手の方に対して失礼な意味にあたるわけで、非常に恥じ入る。
取り返しのつかないことが多いだめなわたしである。
「実力不足」でした。ごめんなさい。
☆☆
これは「ゼネラル・レクラーク」という洋梨です。
いただいたもの。(ありがとうございます)
押してやわらかくなるまで追熟させて食べるようにと
親切におしえてもらった。
軸のまわりにすこし皺がよったら食べ頃というのを
大橋歩さんのブログで読んだので、安心して皮をむく。
(ラ・フランスの話だったけれど)
大橋歩さんて、若い頃とても好きだった。
ひさしぶりに描いたり書いたりしているものをみたら、
今でもやっぱり好きだった。
そういえばなぜか職場の机の引き出しには今、
大橋さんが「村上ラヂオ」に絵を描いた何年も前の
『an-an』がはいっています。
その頃となりが本屋さんだったのでずっと買っていたのでした。
なんだかなつかしいな。
本屋のおじさんおばさん元気かな。
自分がしていることの何倍も、人からよくしてもらっている。
たくさんの人がやってきて、それぞれの人生を語ってくれた。
日々感謝。
そう、失敗も多かったけれど、だめな分せいいっぱいやったかも。
よしよし、今年もよい年だった。
☆☆☆
今週は忙しいだろうと思って、先に一年のまとめをしてしまいました(笑)。
でも、皆さんほんとうにありがとうございました。
先日の柚子(ユズ)、柚香(ユコウ)、橙(ダイダイ)で、ポン酢を作りました。
と言ってもだいぶ前のことです。
ポン酢の作り方というのをネットで探して、一番簡単な作り方を採用。
果汁をしぼって醤油とみりんを加え、昆布と鰹節を浸して一日以上置き、
ざるでこして出来上がり。
果汁に対する醤油とみりんの黄金比があるのかもしれませんが、
しぼった果汁を見て、勘で醤油とみりん少々を入れました。
数か月置くとさらにおいしくなるらしいですが、こした時点でとてもおいしい♪
現在熟成中です。
ダイダイの果皮は思った以上に苦かったので、ユコウといっしょに
乾燥させてお風呂に入れてみるつもりです。
ユズの皮は、薄くそいで冷凍しました。
これを汁物だけではなく、お茶漬けに入れるとおいしいです。
納豆にも入れます。
話はそれますが、納豆に刻んだ奈良漬を混ぜて食べるのが
近頃のお気に入りです。
◇
師走ともなるとさすがに忙しくて、ここのところ毎日簡単ご飯。
時々あまりにもつかれてしまうと、
自分になにを食べさせたらよいのかわからなくなります。
これは「ごめんなさいカレー」と名づけたもの。
ごめん、カレーは食べたいけど簡単でいい?と自分に語りかけつつ
いかに手を抜くかをきわめたカレーです。
大きめの耐熱ガラスボウルに玉ねぎ・じゃがいも・人参など
思いついた野菜を切って入れます。
この日はレンコンとエリンギ、トマトが入っています。
パクチーの葉を使ってしまったので、茎と根も刻んで入れています。
そういえば青みをのせるの忘れました。
野菜は気力しだいで切る大きさが変わりますが、
この日はほんとにつかれていたのでごろごろ大きめです。
夏なら茄子や、あればセロリの葉を入れています。
いつもはかるくオリーブオイルをからめるのですが、それさえ忘れました。
一番上に、肉類(いつもはひき肉、この日は薄切り。野菜だけでもOK)をのせ、
ラップをし電子レンジで7~8分。
カレー粉、コンソメ顆粒、酒をふって、ローリエを入れて、
かき混ぜながら、野菜がやわらかくなるまで数回電子レンジで加熱します。
途中で、トマトケチャップ、醤油を入れて味をととのえます。
それだけ。
同じレシピで鍋でも作るのですが、電子レンジをあまりきわめていないわたしは、
どちらが早いかよくわかりません。
ただ出来上がったらそのまま冷蔵庫に入れるので、すこし気が楽です。
玉ねぎも炒めず切るだけなので、やはり電子レンジのほうが簡単かも。
カレー粉は、スパイス用の小瓶なら1本使いますが、
昔からある缶入りのカレー粉がわりとおすすめです。SBとか。
このカレーには、小麦粉で作ったルーなどは入れていません。
それから水も入れません。
(鍋で作る場合も同様にしています)
野菜の水分だけで、ほどよくとろみがつきます。
手抜きなんですが、たぶんカロリーも少なくてヘルシーです。
カレー粉を入れただけで、ちゃんとカレーになるので
カレー粉ってえらいなあと語りかけつつ食べます(笑)。
お弁当にもおかずとして入れます。
そういえば、市販の板状のルーは最後に使ったのを思い出せないくらい
ずっと使ったことがありません。
けれどもあの市販のカレールーを使ったカレーライスが、
時折なつかしく思い出されて無性に食べたくなります。
たぶんそれは「人に作ってもらったもの」という条件つきなので、
あえて自分で作らず、特別な料理としてとってあるというわけです。
◇
ヨーグルト入りのドレッシングで、シーザーサラダ風。
はじめキハチレシピを参考にし、計量までして作っていたシーザーサラダ、
粉チーズもきれて、レシピもだんだん簡単になって、
あるものを適当に混ぜ合わせて今はこんなかんじです。
味もさっぱり。
ドレッシングは、ヨーグルトにマヨネーズ、玉ねぎのみじん切り、マスタード、
柚子酢を混ぜたもの。
思いついたら、柚子胡椒も入れたりします。
アンチョビペーストがほんの少し入っているのですが、なくてもよいと思います。
この日、赤ワインをすこし入れたので、色がきれいなピンクになっています。
レタスとハムに、「日の菜かぶ」というラディッシュに似た味のかぶと
その葉もいっしょにドレッシングであえて。
野菜はおかわりしてこの3倍食べています。(笑)
◇
もう一品と思ったのですが、長くなったのでこのへんで。
金婚式
(福井桂子さんの詩集『優しい大工』から「金婚式」部分を)
金婚式まで…
風の夜まで…
生きていたっていいでしょう
白いかみのじいさま ばろーしーくん!
はにかみやのばあさま べろーしーちゃん!
みんなみんないってしまうでしょう月の夜…
ちぎれて電信柱に細くからまり
うなだれて…
(略)
詩人も…
すこしは淋しくはなるけれども
生きていたほうがいいのだ
(略)
☆
☆☆☆
☆
今日は、両親の金婚式。
昼休みに電話をしたのですが出ないので、
父がさそって食事にでも行ったのかなと思っていました。
夜電話があってそのことを尋ねたら、雪かきをしていたとのこと。
朝も、昼も、雪かき。 (笑)
50年前の結婚式も雪の日でした。
鰰(ハタハタ)をもらったのでその下ごしらえをしたり、忙しかったとのこと。
ほかに特別なことはなしの一日だったようです。
お祝いは別のことを計画しているので、
今日はフリースの上着を送っておきました。
それはそれで喜んでくれたようです。
福井桂子さんの第一詩集の最後に
「金婚式」という詩が収められています。
若い日の福井桂子さんには別の思いがあったかもしれませんが、
両親が50年という年月を過ごし、
二人そろって元気にこの日を迎えられたのだと思いながら
この詩を読むと、なんだかしみじみとします。
両親に、平林寺で撮った山茶花(サザンカ)を。
花言葉を調べたら、「困難に打ち克つ」「ひたむきさ」だそう。
白花には「 理想の恋」とも書いてありました。
☆
福井桂子さんの第一詩集『優しい大工』のあとがきには、
「わたしたちのひとしく生を受けているこの時代に、もしも
わたし自身の感受していることを完璧に表現しおおす詩、
詩人をもつことができるなら、怠惰なわたしはけっして
自分で詩を書こうとはしないでしょう。ほんとうに、
わたしはそのような詩また詩集をもったと思えたとき、
二七歳のころ詩を書くのをしぜんにやめました。しかし
日々の営みのなかで、わたしはわたしでしかないという
おそろしく単純なことに、再び気づかなければなりません
でした。そしてまたぼそぼそと、詩を書きだしました。」
と書いてあります。
これを読んで、わたしはどんなに励まされたことでしょう。
山茶花の花言葉を読んでいたら、このあとがきのことも
書きたくなりました。
☆
きのうは、お誕生日祝いに病院へ。
昔、かわいがっていた飼い犬と暮らしていた人なので、
犬のちいさなぬいぐるみを持って。
しばらく一方的に話し、手をさすり、
「じゃあまた来るね」と言うと、その時だけ頷いてくれました。
病院の廊下を歩きながら何気なく見えた病室の人が、
ベッドの上でやはりちいさなぬいぐるみを両手にのせて
じっと眺めているのでした。
散った葉の1枚が、蜘蛛の巣にひっかかっていた。
赤だけでなく、ひとつの枝でも、こんなに色のちがう葉が。
錆びたような色。焼き物のよう。
枯れた葉もきれい。
散った葉が、一面に。誰かがのせたように。
日も暮れかけて。
鐘を突く音も聞くことができたし、さあ帰ろう。
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DVDで『約束 ラ・プロミッセ』を観る。
どういう理由で選んだのかもリクエストしたことさえ忘れていた映画。
闘病中の少年が、身体の自由が全くきかなくなった老人に興味を持つ。
いたずらでやんちゃな少年に、身動きできない老人が次第に心をひらいていく。
誰でもいずれ訪れる死からは逃れようがないけれど、
そのことに深刻になるよりも先に
なにかできることがあるような気がしてきて、
希望を見出せる映画。
とてもよかった。
まったく期待せずに観たのに、思いがけない贈り物のように素敵だった。
老人が少年を見つめる眼差しと、砂浜のシーンが、
とてもとても美しかった。
今年観た映画で1番?と思ったけれど、
それは『レイチェルの結婚』かも。
いまだにキム(アン・ハサウェイ)の大きくうるみがちな目を思い出しては
鼻がつんとする。
それからあれもこれもと思い出し始めたけれど、このへんで。
なんとかちゃんと生きていくために、もっと映画を見なくちゃいけないなあ。
雑木林のなかを歩こう。
日がだいぶ傾いてきたので、足早に。
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おまけ。
きょうの遅い夕飯。
安くて新鮮な鰯を売っていたので、久しぶりにつみれ汁が食べたくなり、
疲れていたけどつい買ってしまったのでした。
頭と尾びれと中骨を取り除き、ショウガと今日はレンコンも入れ、
小麦粉、卵、酒、味噌を入れてフードプロセッサーですりつぶしてから、
ささがきゴボウを混ぜて、大きめのスプーンですくって沸騰した出し汁に。
ニンジン、大根、ゴボウと生姜も入れてしばらく煮、
味噌をとき最後に棒ネギの小口切りをちらし、一味をふって。
ゴボウはたっぷりつみれの中にも、まわりにも。
実家ではすり鉢で骨ごとすり混ぜていましたが、
ちくちくした小骨があたるのでした。
それでもそのくらい食感が残っているほうがおいしかった。
今日はレンコンを入れたので柔らかすぎたかもしれません。
ほかに、刻んであまったゴボウとレンコンとニンジンできんぴらを。
それにしても、夕飯を食べながら日付が変わるなんて……、
つくづくだめな生活をしているように思います。
先週、お客さんと平林寺の話をする。
以前に行ったことがありますと話したのを覚えていてくれたんですね。
「そうだ平林寺、行こう」
ということで、ひさしぶりにカメラを持って出かけました。
新座駅北口から約10分歩くと、野火止用水の遊歩道入口があります。
前回は(もう何年も前ですが)、新座駅前の交番で親切に教えてもらったのでした。
道を渡る時は、この立体歩道橋を渡るのがいいとまで地図に書いてもらい、
今回はそれを思い出しながら歩きました。
(バスも出ています)
交通量の多い道路から、 木の生い茂る静かな道にはいってほっとします。
用水の流れる音、降り積もった落ち葉でやわらかな道。
遊歩道が途切れたところで左折します。
右手にもう平林寺の林が見えているのですが、まだまだ歩きます。
信号(平林寺敷地の角)で右折します。
野火止用水入口から、約20分歩き、総門到着。
拝観料は300円。
新座駅から歩いて約30分ということですね。
途中、立ち止まって写真を撮ったりしているので、だいたいですが。
さあ、日が暮れるのが早いので、急ぎ足で見て回ります。
総門を入って、右側の林の紅葉。
光の当たり方もありますが、今日見た中で、一番きれいでした。
時期がもっと早ければ、もっと見事だったでしょう。
歩き疲れちゃったので(笑)、きょうはこのへんで。
なんと10月2日、すでに2カ月前の写真です。
たんたんと並べてみます。(枚数が多いので)
いただいた酔芙蓉を仕事のあいまに撮りました。
朝から晩まで(笑)。
観察しながら同じものをずっと撮り続けてしまいます。(仕事もします)
その変化を追ったと言うとなんだか忍耐強いかんじですが、
要するにしょっちゅうカメラを持って花をのぞきこんでいるわけで、
あまりの枚数に、なかなか整理ができないということになります。
というわけで、今頃、酔芙蓉の写真を載せてしまいすみません。
ちなみに今年はR10で、昨年はGRで。
昨年の画像は、酔芙蓉1、酔芙蓉2、酔芙蓉3、酔芙蓉4 をご覧ください。
やはり何枚も撮っています。古い記事は読むのが恥ずかしいです。
光の加減もありますが、レンズの明るさがちがうので、花びらの質感も
カメラの特徴が出ていますね。
今年のこの日はたしか曇って暗い日だったように思います。
そのせいか、しぼむのが早いように感じました。
14時7分 お弁当を食べ終えたら、もうこんなに染まっていました
14時9分 時間と共に赤くなるのが酔っているようなので酔芙蓉といいます
14時11分 花びらが内側に閉じてきましたね
翌日もそのままかざっておきました。
空きビンに活けています。
昼休み前は忙しくて写真が撮れず、お弁当を食べてからとのんびりしている間に
色が変わってしまい、微妙な変化を撮れずに残念でした。
蕾から咲いた翌日まで、3日間くらい写真を撮って楽しみました。
さて、ここはどこでしょう。
わかりますか?
写真をクリックして大きなサイズで見てもらうとわかるでしょうか。
橋の上から撮っているのですが、すこし場所を移動しようと思ったら、
間隔をおいてカメラを構えている人が何人もいたのでした(笑)。
ですからよく似た写真があちこちにあるかもしれません。
眩しい光の中に、たくさんの人が立っています。
光の中に人の営みがあるのだと遠くから眺め、なんだかしみじみしました。
*
次は、昼間の写真。
橋の反対側から撮ったものです。
ちょっと白日夢っぽく。
見えませんか……。
次は、ふつうの写真。
神田川なんですね。
むこうに見えるのは、聖橋です。
右手奥に見えるのは、御茶ノ水駅。
電車が入ってきたので、思わず撮りました(笑)。
R10で。
+
+++
+
連休中、御茶ノ水に通い、モレキュラーシアターの『マウスト』を観ました。
知識不足で恥ずかしいのですが、感想を次に載せたいと思います。
すこし長くなったので、感想だけまとめて。
*
画家の伊藤二子さんにお会いできたのもとてもうれしかったです。
伊藤さんからは高潔な魂を感じますが、ユーモアもお持ちの方で、
とてもひきつけられます。
大好きです。
Kさんから、内田百閒の『第一阿房列車』(新潮文庫)を借りて読んだ。
ひさしぶりに活字を読んで笑う。
用事というのは列車の旅をすることのみ、
着いた先に用事はないけれど鉄道の旅をし、
宿でお酒を飲み、観光地へは行かず、帰ってくるというもの。
旅先でも自分のこだわりは崩さない、そのため時にやせ我慢もする。
用事があって出かけるわけではないので、
気の合うヒマラヤ山系君という人物と列車に乗っているだけの話なのだけど、
枚数が足りないくらい、話は尽きない。
おもしろくて、買って自分の手許にも置きたいと読みながら何度も思う。
それでさっそく、別の本ですが、『ノラや』を注文しました。
返す前に名残惜しくて(笑)、写真を撮る。
Kさんと「鉄道唱歌ってあるんですねえ」と話すと、
「わたしの友だちは最初から最後までみんな歌えるのよ。長いんだけど」だそう。
Kさんからは時々本を貸していただく。
新刊にも通じていて、ラジオから情報を得るのだそう。
ラジオで朗読していたのを聴いておもしろかったからとおしえてもらう。
以前お礼に、川上弘美さんの『センセイの鞄』を貸したら、
親戚からその友だちへとつぎつぎまわって、ぼろぼろになって返ってきた。(笑)
「おつかれさま」と言って笑ったほど。
本は読まれてこそしあわせ。
Kさんは、84歳。
最近読んだという『1Q84』について話し込む。
その後、まったく別の本を読んでいたら、解説に「内田百閒」という名前が出てきて驚く。
読んだばかりの作家の名前が、たまたま次に読んだ本の解説に出てくる確率は?
実はこういう不思議な活字つながり、妙に多いんです。
すごいと興奮するのは本人だけかもしれませんが。
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さて夕飯は、実家から新米が届いたので。
子どもの頃、新米がとれると、たくさんの塩むすびと塩引き鮭が食卓に並びました。
ご飯と塩引き鮭だけ。
でもそれはごちそう。収穫のお祝い。
好きなだけ食べてよいのでした。
おかずはなんにもなくても、新米はご飯だけでも食べられるくらいおいしかった。
けれども次の日から、また古いお米を食べるのでした。
年に一度の、新米を初めて食べる日が特別だという意識は、いまだに残っています。
昔のように、塩むすびと塩鮭で食べるつもりだったのですが、
炊きあがった湯気を見て、にぎるのすっかり忘れてしまいました。
新米は湯気までおいしい
焼き鮭のほかに、カボチャのソテー、名前を忘れてしまったけれどひょろりとしたカブの漬け物と。
先週の日曜日(8日)、ひさしぶりに朗読会に出かけたので、
遅くなりましたが、めずらしくそんな話を。
画家の矢野静明さんのアトリエで
「ぷちっとサンサシオン」という
吉田文憲さんの朗読会がありました。
「ぷちっとサンサシオン」は普通の朗読会とはちょっと違い、
矢野静明さんとの対話が朗読の間にはさまれます。
今回は、客席にその詩や詩集を作った当時のことを知る方も多く、
朗読する吉田文憲さんを囲んでの会という雰囲気の
あたたかい朗読会でした。
興味深く参考になる話もたくさん聴くことができました。
会場には、村野美優さんがご自分で撮った写真で作った
吉田文憲さんの詩とのコラボレーションが展示してあり、
これはとても感動的でした。
机には、吉田文憲さんの自筆の詩「祈り」が置かれています。
壁に貼ったものを撮りながら、机の上も撮ろうと欲張ったために、
写真が妙な角度になってしまいごめんなさい。
それから色がかぶって暗く写っています。
村野さんが撮った写真には悲痛な声が写しだされ、真に迫るものがあり、同時に
そこで見上げた空や雲を写しているのが村野さんらしいと思いました。
実際の写真はもっと明るく青がきれいです。空の写真はとくに。
こういう空の清々しさからは、村野さんの詩も連想します。
村野さんからは、作品の写真をブログに載せること快諾していただきました。
ありがとうございます。
村野美優さんは、詩人としてだけではなく、ル・クレジオの訳者としてもご活躍ですね。
もうじき新しい詩集が出るそうですので、皆様ご注目を。
それから、展示してあった矢野静明さんの絵は、
吉田さんの詩の世界にあったものを選ばれたようで印象的でした。
思い返しても、贅沢な空間でのよい時間でした。
お知らせもいくつか。
*写真をクリックすると原稿の文字も読めると思います。
◇吉田文憲さんの詩論集『顕れる詩』の刊行記念イベントとして
鵜飼哲さんとのトークセッションが
11月21日(土)ジュンク堂書店池袋店4階カフェにて19時から あります。
定員40名ですので、電話(03-5956-6111)でお申し込みくださいね。
参加費1000円です。
詳しくはこちらで。
もうひとつお知らせを。
*クリックすると読めると思いますが、詳しくはmolecularサイトで見てください。
◇モレキュラーシアターの東京公演も間もなくです。
「ぷちっとサンサシオン」をひらいた画家の矢野静明さんの
瀧口修三論に基づく未発表論考をテキストに使った
『マウスト mouthed』
場所は御茶ノ水駅そばの劇団解体社アトリエ・フリースペースCANVAS
11月21日(土)~23日(月・祝)の3日間です。
公演後にアフタートークもあります。
11月21(土)開場20:00・『マウスト』開演20:15/トーク21:15〜 講師:矢野静明・豊島重之
11月22(日)開場14:00・『マウスト』開演14:15/トーク15時15分〜 講師:宇野邦一・矢野静明
11月22(日)開場18:30・『マウスト』開演18:45/トーク19時45分〜 講師:鵜飼哲・内野儀
11月23(月=祝)開場14:00・『マウスト』開演14:15
お申込みはモレキュラーのサイトで。
*どのイベントも、売り切れていたらごめんなさい。
ご予約はどうぞお早めに。
お客さんから菊をいただく。
よい香り♪
菊の花びらってストロー状なんですね。
あたたかな黄色。
これは食べられる菊だね、とだれかが言っていたけれど
香りで見分けるんですか?聞いておけばよかった。
菊の花は、ほんとうに「菊」という姿をしている。
大きな柿もいただく。
ふつうの平種なし柿と並べてみても、大きさがわかるでしょう。
さるかに合戦で投げつけられたら一撃ですね。
かたくてずっしり重い。
残念ながら渋柿です。
実が熟れるまで待ち、やわらかくなったら冷凍庫へ入れて
シャーベットにして食べるといいとのこと。
柿はかたいほうが好きなんだけど……。
柿は大好きなのに干し柿は苦手。
こんなに大きくても渋抜きできるでしょうか。
焼酎で、やってみようかな。
ここのところ、みかんや柿やケーキや野菜やお惣菜や花を……つぎつぎいただく。
不思議なくらいに来る人来る人から。
同じような心理がはたらく日があるのかもしれません。
時々、しんとして、時計の針がいつもよりゆっくり動くような日、
あまり混まずに人が順番にやってきては話し出す。
どの人も同じように
「今まで誰にも話したことがないんだけど」
と言いながら話し始める。
一通り話し終えると入れ替わるように次の人がやってくる。
そしてまた
「今まで誰にも話したことがないんだけど」
と言いながら身の上話を始める。
そういう人が何人も続いてやってくる日があって、
それぞれの重いものをすこしだけど置いて帰る。
こんな日もあるよねえ…とひとり胸の中でつぶやきながら帰る、
そんな日が時々あります。