わたしは、なるべく家から出ずに、独りで過ごしたいと思っています。
大きな声を出すのは苦手だし、咄嗟に要領よく話すこともできません。
人が集まるところに出かけると、疲れて寝込みます。
ほんとうに気のあった人とたまに会い、あとは静かに暮らすことが望みです。
自分が必要と思っている場所へ、自分の意志で時々出かけます。
それ以前に、休日が少なく、自由になる時間が少ないため、
実際に入れられる予定は限られています。
*
でも、先週は、村田光平さんのお話を聴きに、クレヨンハウスへ。
「原発とエネルギーを学ぶ朝の教室」という講座が、継続して開かれています。
土曜日も仕事があるため、日曜日の会しか出かけることができませんが。
講座の後、村田光平さんの本を2冊買って帰ってきました。
『原子力と日本病』(朝日新聞社)
『新しい文明の提唱—未来の世代へ捧げる—』(文芸社)
村田さんは、元スイス大使で、国際的な視点から、日本へ
そしてあらゆる世界の人びとへ向けた言葉を、発信しています。
『原子力と日本病』を読み終えたところですが、この本が
2002年に刊行されたということに、愕然とします。
原発の危険性を訴え、エネルギー問題について提案してきた人びとは、
みなずっと以前から、一貫した意見を伝えてきたのでした。
大きな原発事故があってから、ようやくそれに気づいた自分を反省しています。
村田さんは、2002年の国際的な会議で、「原子力の問題は倫理と
責任の問題に集約されると思います。危険であり、商業的にも採算に
合わないものであると知りながら、原子力施設を他国に輸出することは
倫理にかなっているでしょうか?危険やコストの問題を承知の上で、
政策決定者がこのような施設を輸入する側に加担することは倫理的でしょうか?
核廃棄物の処理の仕方も知らずに、また何十万という人員の動員を
必要とする事故を鎮圧する備えもなくして、36カ国において430基以上もの
原発を稼働させ続けることは責任感の欠如といえないでしょうか?
そして誰にとっても自明な悲惨な破局の種を取り除くために何もしないで
いるということは、正義感の欠如であると断じざるを得ないと思います。」
と発言しています。(『原子力と日本病』より)
村田さんは、講座で「善き思い天が助ける」とおっしゃいました。
「天の摂理」を信じて、ベストを尽くし、後は天に任せるということも。
本のあとがきでは、「これからの時代を切り拓いていく要因は、
権力よりは哲学、技術よりは直感、専門家よりは市民、そして
知性よりは感性でなくてはならないと信じています」と書いています。
(『原子力と日本病』より)
ここしばらく、原発再稼働などのニュースを見ては、
失意と絶望を感じていました。
でも、村田光平さんのお話を伺い、希望を取り戻せました。
また、独りで悲観的になっていましたが、同じ思いの方が
たくさんいるのだと、講座に集まった人を見て、ほっともしました。
わたしたち一人一人は、微力で、小さな存在ですが、誰もが
懸命に生きているでしょう。
人間だけでなく、植物も、ちいさな虫たちも。
わたしたちの大切な人や、地球や、これから生まれてくる
未来の人たちを守るために、できる限りのことをして、
あきらめずにいようと思います。
それで実は、22日の首相官邸前の原発再稼働抗議集会に行くつもりでした。
デモは初めてですが、できることからやってみようと思って。
たくさんの署名や声を無視された状態ですから、やはり直接
訴えずにはいられなくなったのです。
職場を出られる時間を考えると、18時〜20時に着くのは
難しいのですが、5分でも最後尾に並ぶつもりでした。
ところが、仕事が長引き、結局行けませんでした。残念。
首相官邸前の抗議は、毎週金曜日に行われるようです。
次回6月29日の詳細は、こちら。
わたしは、今後も仕事の都合で無理かもしれませんが、できれば
参加して、声を出せなくても、並ぶだけでもしたいと思っています。
6月15日には12000人、22日にはなんと45000人が集まったそうです。
これまでデモに参加したことがない人たちも、黙っていられなくなったのでしょう。
その様子を撮った動画を観て泣きました。
なんだか元気も出ましたよ。
行けなかったから、ここで言います。
「再稼働反対!」
わたしは独りでいるのが好きですが、個人の力を超えた問題を
考える時には、やはりたくさんの人と一緒のほうが心強い。
起こってしまった後で、いくら追及しても過去は変えることが
できませんが、未来のためにできることをせずにいるのは
やはり無責任であり、正義感と倫理に欠けると思います。
再稼働よりも、原発に依存しない国をつくっていくことのほうが、
重要であり、国民のための政治なのではないでしょうか。
今できることをどうしてやろうとしないのか、歯がゆい思いを
通り越して、腹立たしくも思います。
村田光平さんは「原子力について最低限の知識を持てば、だれでも
心の奥底では、危険な原子力施設はない方がよいと考えることでしょう。
いくら平和利用と称して活用されていても、その根本に原爆の
「悪魔性」が存在することは否めないのです。しかしわが国には、
そのような意見を口にすれば自らに不利益を招くと思わせる
風潮があるために、脱原発を求める声が国民レベルで幅広く
盛り上がらないのです」と『原子力と日本病』に書いています。
個人の利益のためよりも、命を守るために、良心による判断を、
自分にも政治にも求めたいと思います。
「善き思い天が助ける」
この考えに、希望を持ち続けたいと思います。